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時代を駆ける 土井香苗   ご老体 : 2010/03/15(Mon) 09:32 No.178  HomePage
  投稿ランキング:67回/−
うし Download:178.pdf 178.pdf
毎日新聞の「時代を駆ける」の連載記事で「土井香苗」さんが、紹介されていました。

「くるま座」資料室の17docをクリックしてください

ご老体は、恥ずかしながらも、この女性を知りませんでした。

世界人権宣言云々といいながら、現実の現場で活躍されている人を知らないというのも、全く恥ずかしい話で、反省をこめて「土井香苗」さんの記事を紹介しておきます。ぜひ、一度お読みください。

土井香苗 KANAE DOI

ヒューマン・ライツ・ウォッチ日本代表。75年神奈川県生まれ。東京大学法学部3年の時に司法試験に合格。97年5月〜98年5月、アフリカ・エリトリアで同国法務省調査員として刑法整備に協力。00年、弁護士登録。05年米ニューヨーク大ロースクールに留学し修士号取得。原爆症認定訴訟やアフガニスタン難民弁護団などで活躍。著書は「“ようこそ”と言える日本へ」(岩波書店)など。


毎日新聞 3月 記事より

時代を駆ける:土井香苗/1 人権侵害を調べ、知らせ、変える
KANAE DOI

 <04年4月、日本人3人がイラクで武装グループに拘束される事件が起きた。犯人側は「自衛隊撤退」を要求、日本国内では3人の「自己責任」を問うバッシングが起きた。解放・帰国から約2週間。東京・霞が関の弁護士会館で、ジャーナリストの郡山総一郎さんら2人が約300人の報道陣の前で記者会見した。この時、司会を務めたのが弁護団の一員だった28歳の土井さんだ>

 フラッシュのまぶしさを思い出します。郡山さんが「危険を承知で、真実を知らせるのが仕事」と語ったことも。弁護団は、報道対応、支援署名集め、家族のケアに取り組んでいました。首相官邸の世論誘導に驚きました。自衛隊派兵で世論が二分されていた時の撤退要求。国家の一番の急所を突かれると、本気で反撃することを知りました。怖いと感じました。

 続きは「くるま座」資料室の17docをクリックしてお読みください

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 A 資料室をクリック
 B 時代を駆ける 土井香苗の記事のうち17docをクリックする

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提案;近代日本の戦争を「50年戦争」と名づける   小林哲夫 : 2010/03/14(Sun) 09:01 No.177
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くま 戦後の日本人が「あの無謀な戦争」と言って、反省したのは、日米戦争のことです。

あの戦争が始まったのは、真珠湾奇襲からだ、と考えている日本人が大部分です。

しかしながら、日本人が本当に反省しなければならないのは、中国への侵略だと思います。
つまり満州事変に始まり、日中戦争を経て、日米戦争に至る、足掛け15年にわたる戦争全体が問題なのです。

こういう問題意識を鮮明にするために「15年戦争」という名前を付けて、反省する事は、どうやら定着しているように思われます。

さて今回の司馬史観批判が定着するようになれば、日清戦争以来の全ての戦争が反省の対象になります。

15年戦争という言葉が、定着したのは、逆に言えば、満州事変以後の戦争が悪い戦争で、それ以前の戦争は、正しかった、という司馬史観が基礎になっていた、ともいえます。

だから15年戦争だけが悪いのではない、それ以前の戦争はもっと悪い、ということがわかった以上、我々は日本の侵略戦争全体をまとめて「50年戦争」と名づけるのが適当ではないでしょうか?

1894年;日清戦争
1904年;日露戦争
1914年;一次大戦
1918年;シベリア出兵
1927年;山東出兵
1931年;満州事変
1937年;日中戦争
1941年;日米戦争
1945年;敗戦

と言う具合に殆ど連続的に戦争状態にありました。
日本が侵略戦争に明け暮れていた期間を我々は相当長い、と感じていますが、江戸時代250年の平和の後の、実は50年間に過ぎないことを再確認してほしいと思います。

そして現在は敗戦後60年を越えて、戦争時代よりも長い平和時代を謳歌していることが重要です。

こういう風に日本歴史を長期的に見て、日本史の例外の野蛮な期間として、「50年戦争」と名づけて、一まとめにして反省することを提案します。

次に考えるべきなのは、この例外の50年はどうして起こったのか?という意味での「戦争責任」の問題です。(つづく)
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戦争責任について;軍部責任論批判   小林哲夫 : 2010/03/13(Sat) 06:18 No.176
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くま ごきぶりさん ご批判をありがとうございました。言われるとおり壷をはずした反論をして、失礼なことをしたように思います。
私の真意は、司馬史観を国民の史観と強調して、こういう国民のあり方を全力を挙げて批判しない限り、有効な戦争反対の思想にはならない、ということを言いたいことにありました。この真意を是非ご理解下って、今後とも、このような生き生きとしたご批判をお願いいたします。

ということで、司馬史観批判の続きに戻ります。

かつての戦争について、「戦争責任の追及」ということがあります。

司馬史観では、「軍部の横暴が戦争の原因であり、軍部に責任がある」とまとめられると思います。

しかし司馬史観を間違いとし、日清日露から日本は間違っていた、と考えると、軍部責任論は、あてはまらなくなります。

軍部の横暴は太平洋戦争の前あたりから激しくなったのであって、日清戦争のころにはそういう要素は無かったからです。
(この見方は司馬氏に賛成しています。)

司馬氏には天皇責任論はありませんが、一部の左翼には未だに天皇の責任を追及する人がいます。

しかし日清戦争の責任を考えて見ると、天皇の責任を追及することが的外れであることが解ってきます。

日清戦争について、明治天皇は、
「この戦争は朕の戦争ではなく、大臣の戦争である」
とはっきりと言っています。

つまり従来の左翼は、「かつての戦争」のことばかり考えていて、戦争の本当の原因(責任)を考えることを怠ってきた、と私は考えています。

それも「かつての戦争」を、狭く日米戦争だけに限定して考えていて、まとはずれな史観を持って過去を反省しています。

日清戦争の戦争責任を考えて見れば、軍部や天皇の責任などと単純化することは出来ないことがすぐわかると思います。

軍部批判や天皇批判を続けている左翼の人々は、司馬史観と同じ種類の間違いを犯していると私は思っています。

戦争反対思想をここから作り直さないと、本当に有効に戦争を防止できない、というのが、私の司馬史観批判の次のステップなのですが、こういう考えは如何でしょうか?

ごきぶりさんのこの考えについての感想を是非聞きたいものです。

蕁麻疹が起こらなければ良いが・・・という心配はありますが・・・。

ご批判を頂いて、論を進めるのが、大変役に立ちますので、ここまでのご縁を契機に、ご協力いただければうれしく思います。
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小林先生! もうお手上げです!そのさん   ごきぶりほいほい : 2010/03/13(Sat) 00:03 No.175
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うし 小林先生! もうお手上げです!  そのさん
 



任安に与うる書  

「本来自分は死を恐れない、あの事件の時、死を選ぶのは実に簡単な事だったが、もしあの時死んでしまっては自分の命など九頭の牛の一本の毛の価値すらなかった。死ぬことが難しいのではない、死に対処することが難しかったのです。自分が死んでしまえば史記を完成させることが出来ない、仕事が途中のままで終わるのを自分はもっとも恥とするところでした」と述べ、更に「そもそも宦官として生き恥を晒している自分が賢人を推薦するなど滅相も無いことであったのです。今の自分はただ、『史記』の完成のためだけに生き永らえている身であり、この本を完成させて原本を名山に納め、副本を世に流布させることが出来たなら、自分は八つ裂きにされようともかまいません




本当に最後、これが、「批判・酷評大歓迎です」の小林先生への最後のメッセージです。

<こういう認識が出来るようになるためには、司馬氏を「くだらん!」などといって、切り捨ててはいけません>」と先生は、俺を何回も批判しているが、俺は「くだらん」とただの一回も使っておらん!!

先生の地の文章を引用した箇所<くだらんと書かれた文章はくれぐれも、私の司馬史観批判を、司馬氏個人を批判しているものと誤解しないようにお願いします。この小説をくだらん小説だと切り捨てる人がいたら、それこそ大きな間違いだ、と言いたいのです>にたった一回、使われているだけだ!!

さようなら!!小林先生!! 「壺をはずさないよう」お気をつけ遊ばせ!!


 決して、<つまり日本に現実に存在する平和思想は、中途半端なもので、今後の日本の平和維持のためには、むしろ害になると言うことです。「護憲」という一つの言葉で、団結しているように見える九条の会というものも、現実を見れば、こういう相容れない人々の野合としか言えません。九条の会の人々の戦争反対の気持ちに嘘はない、ということは信じられますが、もっと思想的に一貫したものにならないと、危ういと思います>なんていってはいけませんよ。俺の「人を馬鹿!と言ってはいけない 」 レベルに落ちてしまいますよ。 

   合掌
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小林先生! もうお手上げです! そのに   ごきぶりほいほい : 2010/03/13(Sat) 00:00 No.174
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ぶた 小林先生! もうお手上げです! そのに



 安倍の山奥に住んでいると、地面に這い蹲り、落ちている米の一粒をそっと懐にしまいこまねばならぬ庶民の夢」を書きたくなる。百姓が、土を鍬き、畑や田を耕すそのとき、帝都で偉くなるべき勉学に勤しみ「戦争」を企画している輩がいる、「庶民」がいる。そのことを俺は書きたかったのだ。
 
 ちなみに、物識りの小林先生ご存知でしょうが、安倍の山奥では、過って、在日韓国人へ不当な差別に反対し、「天皇」に朝鮮の植民地支配の謝罪を求めた「金喜老」事件があったことを記しておきます。司馬さんは「こんな人」を描かれますかな?


司馬遼太郎は確かにすぐれた作家だと、俺も思う。しかし、俺が書いたように、英雄豪傑のくだらないエピソードの連続が、嘘や真やつらつら書き綴り、書きなぐられているだけではないか!!!>というのもさほど間違っていないと思う。

司馬の本の人気は、「かって、歴史の教科書や、講談、テレビドラマで見たこと聞いたことのある人物と出来事」を人々の欲望の募る方向に焼きなおしているからだろうと思う。

井上靖が、例えば、「孔子」を書くとする。そこには「蔫薑 ( えんきょう)という人物が登場するが、この人物は、井上が作り出した架空の人物である。蔫薑 (ひねしょうが)が狂言廻しを演じながら小説を膨らませていく。また「天平の甍」でも「普照、栄叡」という架空の人物を生み出している。井上の小説の中にあるのは「創造が生み出す人間」であって、事実に依拠し、エピソードに依拠して物語を書く司馬遼太郎は「こんなにも多くの普通の日本人が愛読して、尊敬していると言う事実を、軽視する人は庶民感覚から、よほど外れています」という先生にお似合いなのでしょう。

更に、もうひとつだけ書く。

小林先生は、司馬さんは<「坂の上の雲」については、少々反省していて、映像化を禁止していた、という良心的なところも有った作家です>とお書きになっていますが、確かに俺もそのように聞いているが、もしそうだとすれば、自らの手で、「坂の上の雲」を裁断すべきであったと俺は思う。

司馬さんは「さわ、いいながら、それは少々。お国のためになる」という確信があったのでしょうね。つまり、「「坂の上の雲」を事実として書いたという確信があって、いずれ、映像化されることを確信していたのではないでしょうか。ああ、「私はあのドラマもなかなか面白く、有益なものだ、と思っているのです」という先生でした、<映像化を禁止していた、という良心的なところも有った作家です>というのはとってつけた言葉でした。

 司馬遷は「史記」を書き表わすにあたって、「任安に与うる書」を書いている。司馬遼太郎は自らの文章に「きんたま」をさしだせるか!!


任安に与うる書  

「本来自分は死を恐れない、あの事件の時、死を選ぶのは実に簡単な事だったが、もしあの時死んでしまっては自分の命など九頭の牛の一本の毛の価値すらなかった。死ぬことが難しいのではない、死に対処することが難しかったのです。自分が死んでしまえば史記を完成させることが出来ない、仕事が途中のままで終わるのを自分はもっとも恥とするところでした」と述べ、更に「そもそも宦官として生き恥を晒している自分が賢人を推薦するなど滅相も無いことであったのです。今の自分はただ、『史記』の完成のためだけに生き永らえている身であり、この本を完成させて原本を名山に納め、副本を世に流布させることが出来たなら、自分は八つ裂きにされようともかまいません
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小林先生 ! もうお手上げです! そのいち   ごきぶりほいほい : 2010/03/12(Fri) 23:55 No.173
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ぶた 小林先生! もうお手上げです そのいち


小林先生、名前に気を使っていただき、まことにありがとうございます。「ごさん」と名づけていただきありがとうございます。

「ごさん」と名づけていただきありがたいのですが、俺には「誤算」という小林先生のお声が聞こえるようで、「誤算」「誤算」「誤算」とうれしさのあまり唱えているうちに「誤算」が「悲惨」に変わっているのを発見し、思い切り「悲惨」と叫んでみました。

「壺をはずす」という言葉がありますが、小林先生は、俺のそっと投げた直球を見事に空振りしていませんでしょうか?

俺は<ひがな、地酒を枕に暮らさざるをえない「虫けら」から出発せんで、何が世界史か!!>と叫ぶ、「惨めな庶民感」しかもてん「虫けら」ですが、先生ほど「壺をはずし」ていませんで!!


・・・・<司馬の小説の中に、たった一人でも庶民が描かれているかい? 英雄豪傑のくだらないエピソードの連続が、嘘や真やつらつら書き綴り、書きなぐられているだけではないか!!!>
と、司馬氏の小説「坂の上の雲」についての酷評が書いてありますが、ドラアを見て、本当にそう思いましたか?
私は、秋山兄弟、正岡子規という3人の主人公は、全て庶民だと思って見ていたのです。
彼らの住んでいた家の様子がリアルに生き生きと描かれていると思っていたのですが、彼らの生活のどこが庶民離れしていると言えるでしょうか?
(こういうことを言えるのも、あのドラマのお蔭であると思うのですが・・・。)
あのドラマは、庶民が如何に日本と言う国の発展に貢献することができたか?というものだと、私は思います。
ところで私は山本周五郎も好きで、この正月に田村正和主演の「樅の木は残った」を見て、これも素晴らしいドラマだと思いました。しかしあれは家老の話であって、庶民の話ではありません。
だからと言って、ごさんは、あのドラマはけしからん、とけなすのでしょうか?・・・・


 俺は、ドラマ「樅の木は残った」は残ったはみていないので、「庶民の話ではない」といわれれば、はいそうですかとしかいいようがないが、山本周五郎と俺が言ったら「樅の木」と返ってきて、「家老の話」だという反応には、ちょっとどころか、俺があの文章で、書いたことを全く理解していないか、したくないという意思表示にしかとれん。

 それよりも、何よりも「私は、秋山兄弟、正岡子規という3人の主人公は、全て庶民だと思って見ていたのです」といわれたひにゃ、あいた口がふさがらんどころか、あごがはずれ、救急車を呼ぼうかと思ったほどだ。

 やさしい「ごきぶりは」あのスローボールの最後に、「俊作あんちゃん!!」という「おしん」の叫び声をわざわざ入れておいたのに。

これを、俺は、小林先生は「壺をはずしている」というのだ!!

 小林先生は、庶民の一等代表の「おしん」について、先ずお書きになるべきで、秋山兄弟、正岡子規はすべて「庶民」だという「強弁」を書いてはいけないのです。

更に言うならば、「ごきぶり」が書いた<秋葉原の「加藤君」>について、一言でもいいからコメントが欲しかった。

更に言うならば、司馬遼太郎さんと山本周五郎を「立身出世」と「手仕事」として、わかりやすく書いた俺の気持ち< ひがな、地酒を枕に暮らさざるをえない「虫けら」>の気持ちを知って欲しかった!!

 それを、「私は、秋山兄弟、正岡子規という3人の主人公は、全て庶民だと思って見ていたのです」というのですから、もう「ごきぶりは」お手上げです!
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反省すべき戦争の始まり   小林哲夫 : 2010/03/12(Fri) 17:29 No.172
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くま 毎年12月になると、あの戦争についての反省が繰り返されます。
真珠湾奇襲の成功や、御前会議の開戦決議の様子がさまざまな形で、放送されます。
田原総一郎氏著「日本はなぜ負ける戦争をしたのか?」の問題提起が毎年繰り返されます。

さてこの時に反省の対象になっている戦争とはどの戦争でしょうか?

言うまでも無く真珠湾奇襲で始まった、日米戦争のことです。

この戦争を日本人は大いに反省している様子は、田原氏の著作の題名でも確認できます。

日本人は敗戦後、東京裁判を歓迎して、その判決を支持し、日本は侵略戦争を行ったと認めています。

しかしその反省の大部分が日米戦争のことで、満州事変を思い浮かべる人は少ないのが現実です。

日清日露まで想像できる日本人は極めて少数です。

つまり、日本人は負けた戦争をしたことを反省しているにすぎません。

だから飢え死にした兵士の惨めさ、原爆の悲惨さ、満州での苦労などなど、全て被害者としての戦争批判に過ぎません。

司馬史観というものもこの構図に他なりません。

日米戦争は間違った戦争だったが、日清日露は正義の戦争だった、という史観は、負けた戦争は間違った戦争で、勝った戦争は正しかった、と言っているに過ぎません。

司馬史観批判と言うことは、この構図を批判することに他なりません。

間違っていたのは日米戦争だけではない。
負ける戦争をしたから、間違っていたのではない。
侵略戦争としての日清日露戦争から、反省する、と言う思想です。

今までの戦争反対の思想を根本的に疑ってかかる必要がある、と言うことです。
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庶民について   小林哲夫 : 2010/03/12(Fri) 10:17 No.171
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くま 庶民派を自認する人が
< ひがな、地酒を枕に暮らさざるをえない「虫けら」から出発せんで、何が世界史か!!>
と書いていますが、この庶民観は惨め過ぎます。
これでは庶民とはアル中の虫けらのことのように聞こえます。
アル中の人が、司馬史観を批判して、戦争の無い日本を構想することなど出来るはずがありません。

私は、「坂の上の雲」を愛読する何百万人の国民こそ「庶民そのものだ」と考えるべきだと思います。

司馬氏が書いた明治時代の庶民が、日本が西洋から植民地にされないために、中国と戦争をしなければ成らないと考えたのでした。
だから明治の庶民は、日清戦争勝利に沸きあがり、バルチック艦隊殲滅に有頂天になったのでした。

こういう明治の時代の空気に、現代の庶民も大いに同感しているところに、司馬小説の人気の理由があります。

日本経済の右肩上がりの空気があったことが、人気の理由だ、という風にも言われていますが、その意味を考えて見ますと、司馬史観と日本経済の発展とは、密接な関係がある、と言うことです。

日本の庶民は、明治時代も今も、日本の発展に胸を膨らませたのであって、決して惨めな自閉的気分に陥っているのではありません。

庶民は景気が良くなることを求める、その心は大変好戦的なものだ、ということを認識する必要があります。

つまり現代日本の庶民が、「坂の上の雲」を愛するのは、日本経済の元気な発展を願っているということだ、と認識する必要があります。

こういう認識が出来るようになるためには、司馬氏を「くだらん!」などといって、切り捨ててはいけません。

ここに日本の庶民の心がこもっている、と読むべきだと考えます。
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アジア共同体をつくるために   ご老体 : 2010/03/11(Thu) 21:39 No.170  HomePage
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うし 単独表示 昨日、3月10日、名古屋高裁金沢支部で「七尾強制連行訴訟」の控訴審判決がありました。

「強制連行、強制労働の事実を認めたものの、一昨年の金沢地裁判決と同様、原告の訴えを退ける不当な判決が言い渡されました。

 「甚だしく人倫にもとる行為」とするものの、2007年4月、最高裁が「1972年の日中共同声明により、中国人個人は日本に対し戦争被害について裁判上、賠償を請求できなくなった」との判断がふたたび示されました。


 また、それに先立つ3月8日にも、名古屋高裁金沢支部で、第2次不二越訴訟判決が、国と機械メーカー不二越の責任を認めたものの、個人の請求権を認めていない日韓請求権協定を理由に、請求権を棄却していました。


 これらの判決は、個々の事実関係を認めながらも、日中共同声明や日韓請求権協定によって、損害賠償を認めない、請求権を認めない、という構造になっています。

 先の田村光彰さんの裁判でも、不当解雇という事実関係は認めながらも、慰謝料は認められませんでした。

一歩前進、しかし、体は一歩も前に進んでいないという状態です。

 この、事実関係は認めるが、補償、慰謝料は認めないという構造がまかりとおるのはどうしてでしょうか。

 多分、「金を支払う」ことと「体面が潰される」事が、同次元の関係であり、とりもなおさず、この国の最高の価値は、「お金」なんだということだと宣言しているのだと思われます。
 
 共同声明や協定は、その方便としての役割しか与えられていない。理性によって選択可能な判例の上位に「金」と「対面」があることがこの国の今のありようのようです。選択可能な判例が無数にあっても、それを選び取れないようです。

 さて、そこで、思い出すのは、最近の「密約」をめぐる論議のありようであり、沖縄の米軍の移転をめぐる論議です。

 密約問題の本質は、「国益を守るためには、自国民や他の国に対して外交交渉のすべてを明らかにできない」という論理の展開にあります。何かを守るために、許される事態が存在するという論理のありかたです。序列の下位にあるものがその上位のものを存在させるために「我慢」する、それが、秩序維持のための知恵である、という論理です。

 国民あるいは市民という主体が、国あるいは官僚組織という機関の維持のための道具にされている。別の言葉で言えば
支配される、また支配するということが絶対的なものであるという認識の現れです。民主主義という言葉を使いながらも、それに拠らない力のあり方を認め、かつ、それこそが、共同体のあり方の基本であるという認識であす。エリート官僚が指導する国家や共同体が絶対優位な存在であることの宣言です。

 米軍、あるいは、アメリカという国家によってこの国を支配のしてもらうことが、最上位の価値であるという宣言です。

 そのような価値観から沖縄は今も支配されています。

 一刻も早くそのような状態から脱却したいものです。

 アジア共同体をつくるために!

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国民作家としての司馬遼太郎   小林哲夫 : 2010/03/11(Thu) 12:20 No.169
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くま 私は司馬遼太郎を国民作家と呼んでいいと思っていて、そのことを尊敬もしています。

司馬氏の本が何百万冊も売れていると言う、「量」の問題を軽視するのはとんでもないことだと思います。

こんなにも多くの普通の日本人が愛読して、尊敬していると言う事実を、軽視する人は庶民感覚から、よほど外れています。

これほど愛読されている司馬氏の小説を「くだらん」の一言で、切り捨てることが出来る人はいったいどういう神経の持ち主なのでしょうか?

司馬氏の小説が日本国民から、ものすごく愛読されていることに、眼をつぶってはいけません。

司馬史観を批判する意味もそこにあるからです。

「日清日露までの日本は正しかった」という史観は、確実に現代の日本の庶民に支持されていて、だから莫大な本が買われているのです。

本の売り上げ数を、単なる数字としか見れないようでは、庶民を知っているとはいえません。

日本国民にかくも絶大に支持されている史観だからこそ、その史観の批判をしっかりしなければいけないのです。

「司馬史観は侵略思想だから下らん!」と、一言で否定して、溜飲を下げて自己満足に浸っていてはいけません。

そんなあなたは、日本では確実に少数派で、世の中の人から、変わり者と軽蔑される存在だ、ということを自覚しなければならないのが、本来の位置づけです。

司馬史観が莫大な国民的支持があるからこそ、日本の今後の軍国主義化が心配になるのではないでしょうか?

司馬史観は下らん、と言っていて、それで通るのなら、何も懸命に批判する必要は無いのです。

司馬史観を支持する人の多さ、その「量」に、恐れを感じる人が、今必要なのです。
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