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日米同盟について   「くるま座」事務局 : 2010/03/30(Tue) 05:34 No.189
  投稿ランキング:6回/−
うさぎ  「くるま座」座員の高桑さんのメールです。


私の好きな(?)天木直人さんのメルマガに日米同盟について書いてありました。
テーマのほとんどは日米同盟なのですが。

添付します。


 日米同盟に耐えられない国であると米国軍人に喝破された日本
     ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

 
 これから書くことは、日本中探してもいまだ誰も指摘していない事である。

 3月28日の日経新聞「日米安保50年、同盟の寿命 下」の記事の中で、次のような言及があった。

 「・・・昨秋、米シンクタンクがまとめた『期待はずれの日米同盟の管理』と題する
報告書がオバマ米政権内で注目されている・・・」

 この報告書がオバマ政権内で注目されているかは、私は疑わしいと思っている。なぜならこれは日本向けに発せられた米国軍人の報告書であり、米国政権にとって重要な報告書とは思えないからだ。

 しかしこの報告書が日本の日米同盟重視派に与える衝撃が大きい事は確かだろう。

 見ているがいい。これから徐々にこの報告書がまちがった形で日米同盟を議論する際に使われる事になる。

 たとえば桜井よしこ氏は週刊ダイヤモンド3月20日号における自らのコラム「縦横無尽」においていちはやくこの報告書の事を書いている。

 鳩山政権のように米国の信頼を失わせるような言動をしていると、米国のほうから日米同盟を破棄してくるぞ、とこの報告書を引き合いに出して攻撃材料に使っている。

 この報告書とは、2009年11月に米国のシンクタンクNBR(National Bureau of Asian Research)から提出された「Managing Unmet Expectation」と題する小冊子の事である。

 著者は退役陸軍将校(中佐)のマイケル・フィネガン氏、その前書きをリチャード・ローレス元国防副次官、ジム・トーマス元国防総省次官補代理が書いている。

 その邦訳が、日経コラムニストや外務省副報道官などをつとめた事のある谷口智彦慶応大学大学院教授の編集、翻訳によってウエッジ社から「同盟が消える日 米国発衝撃報告」という
タイトルで2月25日に発行されている。

 さて前置きが長くなったが、私が日本で誰も指摘していない事を書くという意味はこういうことだ。

 この報告書は、日米同盟廃棄をとうとう米国側から言い出す、その可能性を米国関係者がはじめて口にだしたものとして衝撃的だと喧伝される。

 それは一面の真実をついている。

 しかしこの報告書の最も注目すべき箇所はつぎの箇所なのである。

 つまり米国軍人たちが日米同盟の下で戦争準備を進めようと日本に持ちかけた時に、日本側がまったくそれに応じようとしてこなかった、おそらくこれからもそうであろう、という事実である。

 米国軍人にとっては、これでは日米同盟は形だけのものだ、実体がない、我々はこれを同盟関係とは言わない、と映る。

 つまり日本の自民党政権も官僚も自衛隊も、口先では日米同盟重視と言いながら、いざ有事になった時に米軍と一体となって戦争をする気は全くない、だから欧州や韓国などの同盟国との間で出来ている戦争遂行準備が日本との間ではまったくできていない、と米国軍人たちが告白したのだ。

 この指摘は極めて重要である。 

 これまで米国との戦争準備を進める事に猛反対してきたのは護憲、左翼勢力であり、平和を願う国民であると相場が決まっていた。 ー続く


   天木直人のメールマガジン 2010年3月28日発行 第90号

 バックナンバー: http://premium.mag2.com/mmf/P0/00/75/P0007564.html
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安重根 金嬉老 二つの記事   ご老体 : 2010/03/27(Sat) 07:34 No.188
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うし 「くるま座」では、韓国併合100年について、輪読会が行われている。今は、事実関係を知ることということで、海野福寿さんの「韓国併合」を呼んでいる。昨年は、中塚明さんの「現代日本の歴史認識」を読み込むことで、刷り込まれた意識からの脱却を図ることの必要性、アイデンティティのあり方を学んできた。

今日のニュースで、朝鮮、韓国に関する記事が二つあったので紹介しておきます。

韓国:安重根処刑から100年 追悼式典に2000人

26日、ソウルの日本大使館前で、安重根の写真を掲げる韓国の元兵士ら=AP 【ソウル大澤文護】日本の初代首相や韓国統監を務めた伊藤博文を中国北東部ハルビン駅で暗殺した朝鮮の独立運動家、安重根(アン・ジュングン)が旅順監獄で処刑されてから満100年にあたる26日、韓国政府はソウル市庁前広場で追悼式典を開催し、政府高官や日韓の関係者を含む約2000人が出席した。

 式典では、韓国で「抗日闘争の英雄」と評価される安重根の略歴などが紹介された後、鄭雲燦(チョン・ウンチャン)首相が追悼の辞で「現在まで(安重根の)遺体が見つかっていないのは実に残念。政府は遺体発掘推進チームを発足し、日中両国の協力を求めていく」と述べた。その後、鄭首相が会場に設置された「平和の火」に点火。式典後、参加者らはソウル中心部を約1キロにわたって行進した。

 安重根(1879〜1910)は、1909年10月26日、ハルビンを訪れた伊藤博文(1841〜1909)を射殺し逮捕された。1910年3月26日に旅順監獄で処刑された。日韓併合100年の今年、韓国で安重根の資料の発掘や整理を進めようとの動きが活発化している。

毎日新聞 2010年3月26日 19時37分(最終更新 3月26日 21時43分)

☆     ☆     ☆     ☆     ☆     


訃報:金嬉老さん81歳=寸又峡事件の元受刑者

金嬉老さん=岩下幸一郎撮影 【ソウル大澤文護】静岡県の温泉旅館に人質をとって立てこもった1968年の「金嬉老事件」で無期懲役刑が確定した後、仮釈放で韓国に永住帰国していた金嬉老(キムヒロ)(本名・権禧老(クォンヒロ))元受刑者が、26日午前6時50分、前立腺がんのため、韓国・釜山市の病院で死去した。81歳だった。金元受刑者は25日午後、病状悪化のため、緊急入院していた
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丸山真男批判   小林哲夫 : 2010/03/26(Fri) 22:58 No.187
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くま
丸山諭吉批判という視点は、本当に素晴らしい発想だと感心しています。
福沢批判については書きましたので、今度は丸山真男批判を書いてみます。

私は何故これほど丸山氏が今でもちやほやされるのか理解できません。
丸山理論と言うようなまとまった考えがあるようにも思えないからです。

その時々のエッセイに、いい物もありますが、体系だったものに良いものがないと思われます。

まとまったものと言えば、『「福沢の文明論の概略」を読む』ではないかと思われます。

しかしながら、その福沢論が評価できるようなものではありません。

福沢があまり評価できる思想ではない、ということは前項で書きました。

今回の私の批判は、その論理構造にあります。

丸山氏は福沢の近代化への貢献について評価しています。

そして何故こういう評価をその時にしたかといえば、戦後日本の再建について、福沢の情熱が参考になる、と考えたからです。
戦前の軍国主義を江戸時代の封建主義と同じものと看做して、それを克服するために、福沢の努力が参考になる、と評価したのでした。

福沢が江戸時代を否定することに躍起になったように、戦後日本も戦前の封建制を否定して、「近代化」しなければならない、という論理です。

この論理の奇妙さに今まで誰も気が付かなかったように思われます。

福沢・・・・江戸封建制→明治の近代化
丸山氏・・・・・・・・・戦前軍国主義 →戦後の近代化

この奇妙さと言うのは、福沢が貢献した日本の近代化が、結局は戦前の軍国主義にしか過ぎなかった、という矛盾です。

丸山氏が戦前の軍国主義を批判すればするほど、福沢の努力した近代化とは何だったのか?という疑問に行き着きます。

丸山氏が戦後の近代化を強調すればするほど、福沢が努力した日本の近代化が意味が無かった、と言うことになるからです。

この論理の矛盾を救う道は、福沢の努力した近代化は本当は、軍国主義化でしかなかったと考えることです。

とすると丸山氏が努力した戦後の近代化の思想も、結局は軍国主義を招くだけかもしれない、と言うことになるということです。

ややこしい論理になってすみません。

まだ私の中でこの考えがこなれていないので、解りやすく書けませんでした。
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再び サイレント アピールを   ご老体 : 2010/03/23(Tue) 20:21 No.186  HomePage
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うし 単独表示 ご老体は、下記の

『沖縄の痛みを、全ての人びとの痛みとして、
みんなで受けとめよう!

普天間即時閉鎖
辺野古(海・陸)やめろ
海兵隊はいらない
意見広告運動』

に全面的に賛成です。

むしろ、日米軍事同盟の即刻破棄を求めます。軍事同盟の破棄がない限り、沖縄の平和を作り出すことができないと考えます。

沖縄の占領からはじまる戦後65年の歩み、日米軍事同盟によって維持されているアメリカの国益。それが、日本の国益であると信じこまされてきた65年。イラクの戦争も、アフガンへの攻撃も、この沖縄を抜きにしては語れない。

もう、そんな「国の論理」から決別し、「町」や「村」の「そこで慎ましやかに生きる人々」の意思が尊重される社会への転換を求めます。

「くるま座」の有志として、上記の行動の第一歩として、昨年、ソマリアへの自衛隊派遣に抗議して行った「サイレントアピール」の抗議行動を計画します。

多くの人の参加を心より求めます。

行動の詳細は、後日掲示板でお知らせします。
 

・・・・・・・・

 わたしたちは、日本全体の0.6%の面積しかない沖縄に米軍基地の75%を押し付けてきたことを深く反省し、岩国・厚木・佐世保・横須賀など本土各地の基地に苦しむ人びとの痛みも沖縄の人びとと同様であると考え、「移設先」探しでなく「米軍基地はアメリカに持って帰れ」と声を挙げようではありませんか。

 沖縄の人びとの闘いと本土に住む人びとの闘いを結び、世界で平和を求め、軍事基地はいらないと考え行動する人びとの闘いにつなげたいと考えます。沖縄の闘いは、日本を変える闘いだけでなく、世界の人びとの闘いの希望なのです。

 基地ありき、安保ありきのこれまでの「常識」を見直し、これら問題を真剣に考え、公論を起こす時です。そこから、沖縄とともに苦しみも希望も共にする本当の平和への扉を開く一歩が始まると思いませんか。今、そのチャンスです。

 このような思いから、わたしたちは緊急意見広告を発起しました。

 「沖縄の痛みを全国民の痛み」としてみんなで受けとめ、緊急意見広告でわたしたちの意思を表明しましょう。事は急ぎます。力をあわせましょう。


2010年3月7日     沖縄・緊急意見広告運動

・・・・・・

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戦争の原因は日本人の誤解にある   小林哲夫 : 2010/03/23(Tue) 20:19 No.185
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くま くるま座の読者の皆様は、戦争が起こらないようにしたい、と言う点で一致していると信じて書き続けています。

戦争が起こらないようにするために、過去に戦争が起こった原因を知ることが重要だ、という気持ちで、日清日露戦争の原因について私は考えています。

この戦争の原因について、さまざまな考えがあって、なかなか一致できないのが、思想界の現状ではあります。

戦争の原因についてのさまざまな考えの一つとして、私の考えを述べたいと思います。

日露戦争の原因を考えるときに、ロシアは朝鮮を植民地にする気は無かった、ということから出発します。

植民地にする気が無かったことが、重臣会議の議事録で確認できたことが、大変貴重なことだと思います。

ロシアの重臣たちは、朝鮮を植民地にしても利益が無いこと、植民地にするとむしろ害があると考えていました。

朝鮮を植民地にする気が無かったとするならば、いわんや日本を植民地にする気が有るはずがありません。

ところが日本人の方は、ロシアや西洋諸国は日本を植民地にしようと思っていると警戒しました。
現在の日本人も、あの当時はそうだったと信じています。

しかし実際はロシアは日本を植民地にする気など無かったことが証明されているのです。

とすると当時の日本人も現在の日本人も、ロシアの意図を間違って考えていた、と言うことになります。

日本人はロシア恐怖症に陥っていて、そのために戦争になった、ともいえます。

日露戦争は過剰防衛だったといえます。

日本人は明治以来、植民地にされないために先手を打って植民地を持つ、という考えで戦争をしてきました。攻撃は最善の防御、という考えです。

しかしロシアも西洋も日本を植民地にする気が無かったとしたら、全て一人芝居だったと言うことに成ります。

戦争の原因は全て日本側にあり、それも誤解に基づいた、戦争だったということになります。

今後の戦争を防止するためには、こういう誤解が無いようにすることが一番重要だと私は考えています。
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ロシアの朝鮮観(2)   小林哲夫 : 2010/03/20(Sat) 07:36 No.184
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くま 前回の投稿で強調したのは、ロシアは「朝鮮を支配する利益は無い」と考えていたということです。

もちろんロシアがこのころ、不凍港を求めて西方に進み、シベリア開発に力を入れ、次に中国国境の満州への進出を図っていたことを否定するものではありません。
これは人口希薄な土地に対する領土的欲望であることは疑えませんが、中国本土、朝鮮領土まで進出してこれを支配しようとするものではない、ということを意味します。

この当時の植民地主義を、やみくもに植民地を求めた行動と考えるのは間違いです。
人口希薄な土地の取得と、人口稠密な地方の植民地化とは意味が全然違います。

植民地獲得の目的とそのためのコストということ、すなわち採算計算というものがあって、具体的な姿はそれぞれ違う、ということです。

この時ロシアが、朝鮮を植民地にするメリットは無く、だから植民地にする気も無かったのでした。

この事実から次のようなことが、推定できます。

1、日本が朝鮮を植民地にする利益も無かった、ということです。
結果的に朝鮮経営は大赤字だった、という結果論として証明されています。
日本が朝鮮を植民地にしたのは、植民地を持てば儲かるに違いない、と誤解したことが原因です。
大英帝国は、植民地の保有によって繁栄できた、という誤解があったと思います。
(これが誤解かどうかと言う問題は議論が必要と思いますが・・・・。)

2、ロシアが朝鮮を植民地にする気が無かった、と言う事実は、他の西洋諸国もそういう気が無かった、と言うことを意味します。

3、ロシアが朝鮮を植民地にする気が無かった、ということは、日本を植民地にする気などあるはずが無い、と言うことです。

4、ロシアが日本を植民地にする気が無い、ということは西洋諸国が日本を植民地にする気は無かった、ということも意味します。

これらのことが、ロシアの朝鮮観から導き出される結論です。

当時の日本人が日本が西洋の植民地になることを恐れたということ、そのことを現在の日本人も未だに信じているのは、杞憂に過ぎないと言うことです。

ここのところに日本人が気がついて、眼を覚ましてほしい、というのが私の投稿の最大の目標なのです。

結論
西洋諸国は日本を植民地にしようなどと考えていなかった。

日本が植民地にされるのではないか?と恐れたのは、被害妄想に過ぎない。

追記
読者の皆様には、ここのところが理解できないと思われます。
これについては質問に答える形で、説明する以外にないので、質問をお待ちします。
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ロシアの朝鮮観(1)   小林哲夫 : 2010/03/19(Fri) 11:25 No.183
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くま 日露戦争は戦う必要の無い戦争だった、ということは重要ですので、もう一度繰り返します。
ロシアの側は、当時朝鮮を必要としていなかった、だからそのために戦争する気は無かった、ということです。
日露戦争は日本の側の過剰防衛が原因だという見方です。
そのことをもう一度確認しておきます。

以下再録
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
和田春樹東大名誉教授発見情報
2009,12,7付け北陸中日新聞

日露戦争開戦一ヶ月前、ロシア側の主戦派の一人と考えられていた、ベゾブラーゾフが戦争を回避しようと準備した1904年1月10日付日露同盟案で
「ロシアが遼東半島を越えて、朝鮮半島、中国深部に拡大することはまったく不必要であるばかりか、ロシアを弱化させるだけだろう」とある。
ベゾブラーゾフは皇帝からの信頼が厚く大臣待遇の政治家。
(以上の情報はネットで得ることが出来ます。http://www.chibanippo.co.jp/news/world/entertaiment_kiji.php?i=nesp1260167476

この当時のロシアは朝鮮に魅力を感じていなかった。
その理由は、朝鮮を植民地にしても、利益が期待できなかった。
この当時の帝国主義というのは、産業革命で大量生産された商品の販路を求めたものですが、朝鮮にはそういう商品の購買力が認められず、ロシアは売るべき商品を持たなかったのです。
また仮に朝鮮を植民地になどしたら、欧米諸国を刺激して、国際的に孤立してしまうから、そういうことは考えませんでした。
また朝鮮半島の長い海岸線を守るだけの海軍をロシアは持たなかったので、この意味でも、植民地にする気はありませんでした。
(しかしながら朝鮮を日本が支配することは認められない、という立場であることはいうまでもありません。)

また1900年ころ、ヨーロッパではドイツの脅威が高まっていて、それに対抗するために、極東のことに関わる余裕もありませんでした。
ウィッテ、クロパトキン陸相、ラムズドルフ外相、らは、日本との軍事的衝突は絶対に避けるべきだと主張し、満州からの撤退をすることさえ提案していた。
皇帝はこれらを了承し、韓国全土を日本の勢力圏にすることを認めた。
しかしこの決定が日本政府に伝達されるのが遅れたために、日本政府は好戦的世論に押されて開戦してしまったのでした。(小森陽一著から)

このことは加納格氏と和田春樹氏の研究があり、それぞれ報告されています。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
以上再録
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坂の上の雲は優れた小説   小林哲夫 : 2010/03/18(Thu) 13:46 No.181
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くま ごきぶりさんには怒られましたが、もう一度優れた点を繰り返します。

「真実性」「描写力」
明治時代の日本人が、命を賭けて日露戦争を戦った、その様子を生き生きと再現した、その描写力はすごい、ということです。
その日本人のそのころの精神を坂の上の雲は、実にリアルに描いていて、これはもっとも事実(真実)に近いと考えて間違いない、と私は思います。
もしゴキブリさんが、あの当時の日本人は平和的で、中国や朝鮮を侵略してはいけない、と考えていたと思っているのでしたら、それを根拠を挙げて説明してほしいと思います。
日本人の愛国の心情を司馬氏は誇張をすることなく、極めて正確に生き生きと描いた、と私は思って読みました。
時代の空気を文章で描くことは、簡単なことではなく、司馬氏のその能力は極めて高い、と思います。

「娯楽性」
小説はなにしろ面白くなければならないのですが、その点でも素晴らしい出来栄えになっていて、その人気によって、ベストセラーになり、国民作家と言われる評価を得ています。
現代日本人の望むところを的確に把握して、その気持ちに沿った小説を書いたことによって、日本の大衆から尊敬されて、人気があるのですが、そのことを持って司馬氏を非難するのは、お門違いという気がします。


以上の2点で、私が言いたいのは、
@司馬氏が「当時の侵略的な日本人の実態」を生き生きと描いて、その描写に真実性があるとしたら、侵略性を非難されるのは、当時の日本人であって、司馬氏ではない、と言うことです。

司馬史観の方を非難する人がいたら、それは全くのお門違いだと言うことです。

A現代日本人の好戦的空気を察知して、そういう国民に好まれる小説を書いたからと言って、作者を非難するのもどうかと思われます。
我々が非難しなければならないのは、そういう好戦的な国民の空気のほうであって、司馬氏の方ではない、と思われます。

司馬氏の小説は、明治時代の空気を我々に理解できる形に表現してくれたということ、そういう空気を現代日本国民は好むのだ、ということを我々に知らせてくれた、という二点で、大変素晴らしい小説だ、と言えないでしょうか?

それなのに、当時の侵略的日本人を批判することをわすれ、現在の日本人の好戦性を批判することを忘れていることの方が問題ではないでしょうか?

司馬史観批判だけで満足している人がいたら、そのことの方が問題だと私は思います。
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侵略戦争の父;福沢諭吉(2)    小林哲夫 : 2010/03/17(Wed) 13:44 No.180
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くま 福沢諭吉の考えは「朝鮮はだらしない国で、自分で近代化する力が無いから、日本が軍事力を行使して近代化してやるのだ。」というものとまとめることが出来ます。

当初朝鮮の開明派を支援したのも、この発想の一環に過ぎず、最初から朝鮮を日本が支配しようとした行動であって、この隣国支援をもって、福沢の善意と見たり、はじめは正しかったと見るのは間違いです。

福沢諭吉は、日本の軍国主義的侵略の急先鋒だったと言えます。

さて現在の日本では、福沢は日本近代化の父と認められて、日本の近代国家形成、民主主義導入に多大な貢献をした、と肯定的に見られています。

この福沢の民主化等の肯定面と、侵略的な否定面との関係について、考える必要があります。
丸山真男は戦後福沢を高く評価して、現在の福沢偉人論の常識を作り上げました。
しかし丸山真男は否定的側面を全く見ることが出来ませんでした。この間違いの原因は、肯定面の過大評価によって、否定面が見えなくなったためと考えられます。

福沢の肯定面(民主化とか近代化)を、過大評価すると、侵略的で否定面な側面を無理矢理好意的に解釈したり、侵略的側面を見落としたりします。


丸山ほどではなくとも、福沢の否定面を、ちょっとした脱線程度のことと好意的に見る日本人が多いのには驚かされます。

また朝鮮の開明派を支援したことを、「福沢も始めの内は良かった」、と好意的に見る人が左翼の中にさえ多いのが現状です。

こういう現象が起こるのは、肯定面と否定面を別のことと理解する人が多いからだと思います。
福沢の肯定面、否定面は一体をなすもので、これを別々に離して考えることの出来ないものである、という私の考えを以下では述べたいと思います。

「近代化とは何か?」
結論から言えば、近代化という現象は、民主主義と軍国的侵略主義が同時に起こることだと言うことです。

私の言葉の使い方を説明しておきますと、近代化というのは近代国家=民族国家になることと考えます。
民族国家というのは、国民軍を持ち人民主権の制度を持った国という意味です。

民族国家というのは、自分の国は自分で守ると言う意識を持った国民が形成され、その国民による国民軍が出来上がった国のことです。

こういう言葉の使い方を理解してもらうためには、戊辰戦争の時の板垣退助が総大将となって会津を攻めたときのことを例に取ると解りやすいと思います。
会津の町民、農民はその戦争をひとごとと見ていて、戦争を傍観しているのを見て、愕然としたのが板垣の原点になりました。
こういう国民の国は、国家の体をなさない、と板垣は考えて、どうしたら国民に国民意識を植え付けられるか?と考えたのでした。

国民が自分の国と感じられるためには、自分たち国民は平等に政治に参加している、という実感をもてるような体制を作らねばならない、というのが、議会や憲法、身分制の廃止、などを整備する動機でした。

国民全員が自分たちの国と実感できるために「人民主権」という体制が不可欠だったのです。
このような意味で、人民主権(民主主義)と軍国主義ははじめから一体のものなのです。

むしろ軍事強国に成らねばならない、という気持ちが先行し、その後にそのために人民主権が必要だ、と付け加わるようなものなのです。
これはフランス革命時に編成された国民軍のときからの近代化の法則です。
だから自由民権運動家(板垣、大井)は全て、強烈な侵略主義者であって、福沢もその最先端を行く存在になったのは、自然の成り行きです。
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侵略戦争の父;福沢諭吉    小林哲夫 : 2010/03/16(Tue) 20:06 No.179
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くま 福沢諭吉は日本の近代化の父、と言われています。
この言い方に私は異存は無いのですが、同じような意味で、同時に侵略戦争の父でもあったことを認識すべきと思います。

福沢諭吉が、如何に侵略的思想で、日本国民を先導したか?ということを「醍醐聰のブログ」から引用しますので、よく読んでみてください。
http://sdaigo.cocolog-nifty.com/

以下醍醐ブログ
ーーーーーーーーーーーーーーーー
「朝鮮の交際を論ず」(『時事新報』明治15年3月11日付社説)

 「今の支那国を支那人が支配し、朝鮮国を朝鮮人が支配すればこそ、我輩も深く之を憂とせざれども、万が一も此国土を挙げて之を西洋人の手に授るが如き大変に際したらば如何。恰も隣家を焼て自家の類焼を招くに異ならず。西人東に迫るの勢は、火の蔓延するが如し。隣家の焼亡、豈恐れざる可けんや。故に我日本国が、支那の形勢を憂ひ、又朝鮮の国事に干渉するは、敢て事を好むに非ず、日本自国の類焼を予防するものと知る可し。」
 「仮令ひ或いは自衛の備えを要せずとするも、彼の国人心の穏やかならざる時に当て、我武威を示して其人心を圧倒し、我日本の国力を以て隣国の文明を助け進るは、両国交際の行き掛りにして、今日に在ては恰も我日本の責任と云ふ可きものなり。
 我輩が斯く朝鮮の事を憂て、其国の文明ならんことを冀望し、遂に武力を用ひても其進歩を助けんとまでに切望するものは、唯従前交際の行き掛りに従ひ、勢に於て止むを得ざるものあればなり。・・・・此時に当て亜細亜洲中、協心同力、以て西洋人の信凌を防がんとして、何れの国かよく其魁を為して其盟主たる可きや。我輩敢て自から自国を誇るに非ず、虚心平気これを視るも、亜細亜東方に於て、此首魁盟主に任ずる者は我日本なりと云はざるを得ず。」


つまり、福沢の脱亜論は消極的な「脱亜」ではなく、文明開化を助けるという尊大なアジア蔑視の思想を錦の御旗にして、朝鮮への武力侵略を正当化するイデオロギーにほかならなかったのである。また、彼の「入欧」とは西洋文明への同化ではなく、アジアの盟主として欧米列強のアジア進出に対抗するためのイデオロギーにほかならなかったのである。言い換えると、「脱亜」と言いつつ、日本をアジアの盟主と呼び、「入欧」と言いつつ西洋列強との対抗を唱導する福沢の主張には論理的な首尾一貫性はなかったものの、その後に日本を席巻した「大東亜共栄圏」の原型というにふさわしいものだった。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
以上引用
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