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私は司馬遼太郎を国民作家と呼んでいいと思っていて、そのことを尊敬もしています。
司馬氏の本が何百万冊も売れていると言う、「量」の問題を軽視するのはとんでもないことだと思います。
こんなにも多くの普通の日本人が愛読して、尊敬していると言う事実を、軽視する人は庶民感覚から、よほど外れています。
これほど愛読されている司馬氏の小説を「くだらん」の一言で、切り捨てることが出来る人はいったいどういう神経の持ち主なのでしょうか?
司馬氏の小説が日本国民から、ものすごく愛読されていることに、眼をつぶってはいけません。
司馬史観を批判する意味もそこにあるからです。
「日清日露までの日本は正しかった」という史観は、確実に現代の日本の庶民に支持されていて、だから莫大な本が買われているのです。
本の売り上げ数を、単なる数字としか見れないようでは、庶民を知っているとはいえません。
日本国民にかくも絶大に支持されている史観だからこそ、その史観の批判をしっかりしなければいけないのです。
「司馬史観は侵略思想だから下らん!」と、一言で否定して、溜飲を下げて自己満足に浸っていてはいけません。
そんなあなたは、日本では確実に少数派で、世の中の人から、変わり者と軽蔑される存在だ、ということを自覚しなければならないのが、本来の位置づけです。
司馬史観が莫大な国民的支持があるからこそ、日本の今後の軍国主義化が心配になるのではないでしょうか?
司馬史観は下らん、と言っていて、それで通るのなら、何も懸命に批判する必要は無いのです。
司馬史観を支持する人の多さ、その「量」に、恐れを感じる人が、今必要なのです。 |
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