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9.19 さようなら原発1000万人アクション 明治公園に集合!
下記の記事を面白く読みました。紹介です。 9.19は一人でも多く、明治公園に行きましょう。
デモのできる社会とは、どんな社会か 迷惑について、倫理について 三沢健直 松本市
2011-09-12 今年の夏は、原発事故の影響で、駅や街の照明が暗くなり、フランスに住んでいた頃を懐かしく思い出した。フランスに限らず、ヨーロッパの夜間の照明は総じてこの程度であり、日本の都市の夜の明るさと、電気の無駄遣いが異常だったに過ぎない。
電車のクーラーも同様だ。東京の暑い夏の日に、半袖・半ズボンで電車に乗ると、寒くて凍えなければならない。そのために、人々は長ズボンをはいて上着を持って出かけるのだ。誰もがそれを異常だと感じながら、それを変えようとする力がどこからも出てこなかった。凍えるような夏の電車それ自体よりも、誰もが異常だと感じながら、それを変えようとしない社会のあり方が、むしろ日本社会の特徴かもしれない。
ソーシャルメディアと大衆の意思表示
大震災と原発事故で印象が薄れてしまったが、それらがなければ、今年は中東の独裁的政権がデモによって打倒された年として記憶される筈だった。そこで大きな影響力を発揮したソーシャルメディアは、日本でもその力を発揮した。6月11日には、日本でも全国一斉に脱原発デモが行われ、数十万の人々が路上を行進した。*
日本の「デモ」は、欧州のデモと比較すると、異常なまでに警察の規制が強く、欧州の感覚で言えば、「日本ではデモは禁止されている」と言っても過言ではない。60年安保反対運動の影響力に直面した自民党政権の、大衆による意思表示に対する恐れが、今日も引き継がれているのだろうか。当時はデモに参加する側だった社会党の一部が民主党の結成に参加したことを考えれば、民主党政権が成立した今日、デモに対する規制が欧州並みに緩和されても良い筈だが、その兆候はまだない。
以下略
しかし日本のデモを禁じているのは警察だけではない。欧州では、車両がクラクションを鳴らして、デモ隊への連帯の意思表明をすることが珍しくないが、日本のデモは、周囲の人々から切り離されて、まるで別世界のように平行して交わらないように見える。警察はデモ隊に対して、「車両や通行人に迷惑をかけないように歩いてください」と呼びかける。周囲の人も、迷惑をかけられていると感じる。日本には自由と平等はあるが、Solidarité=連帯は存在しないのだろうか。
以下ホームページ参照 http://www.realiser.org/report/lifestyle/article/index.php?id=311
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