庶民について
小林哲夫 : 2010/03/12(Fri) 10:17
No.171
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庶民派を自認する人が < ひがな、地酒を枕に暮らさざるをえない「虫けら」から出発せんで、何が世界史か!!> と書いていますが、この庶民観は惨め過ぎます。 これでは庶民とはアル中の虫けらのことのように聞こえます。 アル中の人が、司馬史観を批判して、戦争の無い日本を構想することなど出来るはずがありません。
私は、「坂の上の雲」を愛読する何百万人の国民こそ「庶民そのものだ」と考えるべきだと思います。
司馬氏が書いた明治時代の庶民が、日本が西洋から植民地にされないために、中国と戦争をしなければ成らないと考えたのでした。 だから明治の庶民は、日清戦争勝利に沸きあがり、バルチック艦隊殲滅に有頂天になったのでした。
こういう明治の時代の空気に、現代の庶民も大いに同感しているところに、司馬小説の人気の理由があります。
日本経済の右肩上がりの空気があったことが、人気の理由だ、という風にも言われていますが、その意味を考えて見ますと、司馬史観と日本経済の発展とは、密接な関係がある、と言うことです。
日本の庶民は、明治時代も今も、日本の発展に胸を膨らませたのであって、決して惨めな自閉的気分に陥っているのではありません。
庶民は景気が良くなることを求める、その心は大変好戦的なものだ、ということを認識する必要があります。
つまり現代日本の庶民が、「坂の上の雲」を愛するのは、日本経済の元気な発展を願っているということだ、と認識する必要があります。
こういう認識が出来るようになるためには、司馬氏を「くだらん!」などといって、切り捨ててはいけません。
ここに日本の庶民の心がこもっている、と読むべきだと考えます。 |
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