小林先生! もうお手上げです! そのに
ごきぶりほいほい : 2010/03/13(Sat) 00:00
No.174
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小林先生! もうお手上げです! そのに
安倍の山奥に住んでいると、地面に這い蹲り、落ちている米の一粒をそっと懐にしまいこまねばならぬ庶民の夢」を書きたくなる。百姓が、土を鍬き、畑や田を耕すそのとき、帝都で偉くなるべき勉学に勤しみ「戦争」を企画している輩がいる、「庶民」がいる。そのことを俺は書きたかったのだ。 ちなみに、物識りの小林先生ご存知でしょうが、安倍の山奥では、過って、在日韓国人へ不当な差別に反対し、「天皇」に朝鮮の植民地支配の謝罪を求めた「金喜老」事件があったことを記しておきます。司馬さんは「こんな人」を描かれますかな?
司馬遼太郎は確かにすぐれた作家だと、俺も思う。しかし、俺が書いたように、英雄豪傑のくだらないエピソードの連続が、嘘や真やつらつら書き綴り、書きなぐられているだけではないか!!!>というのもさほど間違っていないと思う。
司馬の本の人気は、「かって、歴史の教科書や、講談、テレビドラマで見たこと聞いたことのある人物と出来事」を人々の欲望の募る方向に焼きなおしているからだろうと思う。
井上靖が、例えば、「孔子」を書くとする。そこには「蔫薑 ( えんきょう)という人物が登場するが、この人物は、井上が作り出した架空の人物である。蔫薑 (ひねしょうが)が狂言廻しを演じながら小説を膨らませていく。また「天平の甍」でも「普照、栄叡」という架空の人物を生み出している。井上の小説の中にあるのは「創造が生み出す人間」であって、事実に依拠し、エピソードに依拠して物語を書く司馬遼太郎は「こんなにも多くの普通の日本人が愛読して、尊敬していると言う事実を、軽視する人は庶民感覚から、よほど外れています」という先生にお似合いなのでしょう。
更に、もうひとつだけ書く。
小林先生は、司馬さんは<「坂の上の雲」については、少々反省していて、映像化を禁止していた、という良心的なところも有った作家です>とお書きになっていますが、確かに俺もそのように聞いているが、もしそうだとすれば、自らの手で、「坂の上の雲」を裁断すべきであったと俺は思う。
司馬さんは「さわ、いいながら、それは少々。お国のためになる」という確信があったのでしょうね。つまり、「「坂の上の雲」を事実として書いたという確信があって、いずれ、映像化されることを確信していたのではないでしょうか。ああ、「私はあのドラマもなかなか面白く、有益なものだ、と思っているのです」という先生でした、<映像化を禁止していた、という良心的なところも有った作家です>というのはとってつけた言葉でした。
司馬遷は「史記」を書き表わすにあたって、「任安に与うる書」を書いている。司馬遼太郎は自らの文章に「きんたま」をさしだせるか!!
任安に与うる書
「本来自分は死を恐れない、あの事件の時、死を選ぶのは実に簡単な事だったが、もしあの時死んでしまっては自分の命など九頭の牛の一本の毛の価値すらなかった。死ぬことが難しいのではない、死に対処することが難しかったのです。自分が死んでしまえば史記を完成させることが出来ない、仕事が途中のままで終わるのを自分はもっとも恥とするところでした」と述べ、更に「そもそも宦官として生き恥を晒している自分が賢人を推薦するなど滅相も無いことであったのです。今の自分はただ、『史記』の完成のためだけに生き永らえている身であり、この本を完成させて原本を名山に納め、副本を世に流布させることが出来たなら、自分は八つ裂きにされようともかまいません |
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