司馬史観批判(2)
小林哲夫 : 2010/02/20(Sat) 08:44
No.149
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朝鮮の自衛力の問題を考えます。
「朝鮮には自衛力がなかった」とこともなげにいう司馬氏の考えは、朝鮮蔑視観で、良識ある文筆家だったら決して言ってはならないことです。 <B>「司馬史観」朝鮮には自主的に自分の国をまもる力がない、</B>
私は朝鮮には、自衛の力があったけれど、結果的に日本の軍事力に勝てるだけの力が無かっただけだ、と考えます。
日本に勝てなかったのだから、結果的に自衛力が無かった、と言うことも出来ますが、こういうことを日本人がいうのは非常に野蛮なことです。
つまり野蛮な強盗が、人の家に押し入って、お前のところは、用心が不足だから、俺が強盗に入るのは当然だ、ざまあみろ!と言っているようなものです。
泥棒に入られた家は、すべて用心不足を非難されるのでしょうか?
日本の野蛮な侵略に屈して植民地になった、という結果から朝鮮には自衛の力が無かった、というのは、まことに盗人たけだけしい、論理です。
一方当時、中国とは宗族関係にあって、もし朝鮮を侵略する国があったら、中国が共に戦ってくれることになっていました。
このことを中国頼りの情けない国だった、と思う日本人がいたら、まことに恥ずかしい考えです。 同盟関係は恥ずかしい事でしょうか?
日米安保体制によって、日本の安全が保たれている、と思っている人はまことに頼りない日本人だ、と言っていることになります。
当時の朝鮮の自衛力には、中国の力を当てにしているところがあって、何がおかしいのでしょうか?
当時の朝鮮に対して日本は「朝鮮を独立させてやるから中国との同盟を破棄せよ!」と言ったわけですが、これは現在の日本に対して中国が、「日本を独立させてやるから、日米安保条約を破棄せよ」と言っていることと同じ意味になります。
こんな理不尽なことをもし中国が言ったら、あなたは怒りませんか?
つまり当時の朝鮮は「中国に対して自衛する必要がない」と言うことです。 現在の日本がアメリカに対しての自衛を考えていない、と同様です。
こう考えると、あと残るのは「ロシア」だけです。
ロシアに対する朝鮮の自衛の力は、充分であった、と私は考えます。
自衛力が充分だった、と言うことの意味は、侵略しようとする意思と比較して、という観点が必要です。
つまりロシアは朝鮮を侵略するつもりは無かったから、朝鮮も自衛力はそれほど必要なかった、という意味です。
ロシアの侵略意欲というものは、朝鮮の自衛力との関係でもあります。 朝鮮が当時の程度の自衛力があると知って、侵略する意思を持たなかった、ということです。
自衛力というものは、いつも侵略可能性との相互関係の中で考えるべきものです。
(つづく) |
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