あまり本を読みませんが
ナカノカナ : 2010/02/22(Mon) 01:10
No.150
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「雲の先の修羅」をたいへん面白く読ませて頂きました。 知らないことばかりが多くていっぱい勉強した気持ちになれましてありがとうございます。 タイトルの由来になった「あの先で修羅はころがれ雲の峰」 という幸田露伴の俳句が妙に気に入っております。 長閑に見える雲の峰の向こうに人間が殺しあう修羅の世界があるという句です。 これは反戦とはいえないまでも「厭戦」の句ですと、書かれています。 羽仁五郎氏が本で紹介しています 「つまり、夏の峰が見えたんだな。つまりあの先は修羅なんだなあ、と・・・幸田露伴はまだ、感覚を持ってるんだよ。 あの雲の向こうでは、日本軍が行って殺し合いをやってる、なんて、公平なことじゃないんだよ。 向こうの人は、平和に暮らしていたんだよ。そこへ日本軍が行ったんだね。鬼のような日本軍が。 その鬼のような日本軍というのは、ぼくであり、皆さんなんだよ、ね。」 確かにその通りだと思います。 私には過去の日本の侵略戦争に直接責任はないとしても現在進行形で起きている悲惨な結果には少なからず責任はあります。 わたしは私を知らない。同様に日本を世界を知らない。同時代に生きている者として知る努力をしないといけません。 ところで、「あの先で修羅はころがれ雲の峰」なんだけど「厭戦」ではあると思います。 反戦ならば「あの先で修羅はころがる雲の峰」になると私は考えます。 「あの先で修羅はころがれ・・・」というのは勝手に戦争でも略奪でもやってなさいよ、というように思えてならないんですけど、 露伴先生に聞いてみたい。露伴先生は戦争によって不自由な生活を余儀なくされて怒ってたんでしょうね。 露伴先生に限らず怒ってた人は多いと思いますが、 現代は思想信条の自由が保障されているのだから脅かされないように自由は守らないと、 いけませんね。 私は「あの先で修羅はころがる雲の峰」も気に入ってます。 |
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