司馬史観批判(4)
小林哲夫 : 2010/02/23(Tue) 11:30
No.152
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ロシアは朝鮮を侵略する気は無かった
司馬氏は「日本が朝鮮を支配しなければロシアが取ってしまう、ロシアが朝鮮を取れば次に日本がロシアの植民地にされてしまう。」と考えていたようです。 こういう考えは現在の日本人にも広く信じられていますので、ロシアにそういう意図は無かったことをここで説明しておきます。
ロシアはこのころシベリア鉄道を建設して、着々と東に進出していました。 不凍港を求めて、ウラジヲストックに到達していました。 広くアジア全体を見渡してみると、あちこちで南下政策を取っていました。 これに危機感を覚えたイギリスがロシアの南下に対抗するための世界戦略を取っていました。
こういう動きを読むと当然ロシアは朝鮮を狙っていたに違いない、と思い込みますが、それはもう少し詳細を研究してから、結論すべき問題です。
この当時のロシアは朝鮮に魅力を感じていなかったことが明らかになっています。
その理由は、朝鮮を植民地にしても、利益が期待できなかったからです。
この当時の帝国主義というのは、産業革命で大量生産された商品の販路を求めたものですが、朝鮮にはそういう商品の購買力が認められず、それに加えてロシアは売るべき商品を持たなかったのです。 また仮に朝鮮を植民地になどしたら、欧米諸国を刺激して、国際的に孤立してしまうから、そういうことは考えませんでした。 その上、朝鮮半島の長い海岸線を守るだけの海軍が必要になりますが、ロシアはそれだけの余力を持たなかったので、この意味でも、植民地にする気はありませんでした。
以上のようなことは、1888年5月、ペテルブルクで開催されたロシア政府の極東問題特別会議が作成した覚書に書いてあります。
しかしながら、だからと言って、朝鮮はどうでも良いということではなく、朝鮮を日本が支配することは認められない、という立場であることはいうまでもありません。
こういうロシアの方針を見れば、朝鮮を日本が取らなかったら、ロシアが取っただろうと言う見方は間違いだ、ということがわかります。
また1900年ころ、ヨーロッパではドイツの脅威が高まっていて、それに対抗するために、極東のことに関わる余裕もありませんでした。 ウィッテ、クロパトキン陸相、ラムズドルフ外相らは、日本との軍事的衝突は絶対に避けるべきだと主張し、満州からの撤退を皇帝に提案していました。 皇帝はこれらを了承し、韓国全土を日本の勢力圏にすることを認めました。(小森陽一著から) しかしこの決定が日本政府に伝達されるのが遅れたために、日本政府は好戦的世論に押されて、先走って開戦してしまったのでした。 日露戦争は日本政府のフライングだったと言えます。 ようするにする必要の無い戦争を、国民世論におされてしてしまった、という軽率な戦争でした。
戦死された方々にはどう言ってお詫びしたらいいのかわからない気がします。
最近の和田春樹氏の研究でも、ロシアは日本との戦争を回避するために、朝鮮半島の利権を放棄する提案をしたことが明らかになったと報告されています。 このことは加納格氏の研究でも同様の報告があります。 |
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