司馬史観批判(6)
小林哲夫 : 2010/02/25(Thu) 11:31
No.156
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朝鮮無能力論
司馬史観の大きな柱の一つに「朝鮮無能力論」があります。
>韓国自身の意思と力でみずからの運命をきりひらく能力は皆無と言ってよかった。 >如何に腐敗しても、自らの内部勢力によって倒れることが無い。外国の侵略と言う不幸な外圧によってようやく倒れる。体制内における薩長的存在が無い。
と書いています。
これは日本は明治維新という自分の力で近代化したのだ、と自慢し、一方韓国にはその力も意欲も無かった、とこき下ろしている文章です。
韓国自身で変わる力が無いから、外国(つまりは日本)が侵略して変えてやるしかなかった、というまことにとんでもない自己中心的考えです。
これがチンピラ右翼が書いているのなら、驚かないのですが、良心的知識人と思われ、国民作家と言われる、司馬氏の考えなのだから驚きます。
こんな酷い自分勝手な考えをよくも恥ずかしくもなく書いているものだ、と驚きます。
そしてこんな侵略的文章を今まで問題だと思わないで、見過ごしてきた、日本の左翼の存在のことを考えると、私さえ恥ずかしくなります。
さて本当に韓国には、自分を変える能力が無かったのでしょうか?
そんなことはありません。 東学党といわれる、変革の動きがありました。これは農民を中心として、何十万人と言う人民を集めて、暴動を起こす力がありました。 (因みに中国の義和団の変と似た存在と考えられます。太平天国の乱も体制変革の運動でした。)
日本でも攘夷運動が盛んになり、それは同時に反幕運動だったという歴史があります。 東学党の乱も、攘夷運動であり、同時に反体制運動でもありました。
日本との違いは、攘夷の相手が、日本は西洋諸国であったこと。 それに対して韓国では、日本が攘夷の対象になったことでした。
また日本は下級武士の運動だったのに、韓国では民衆レベルの運動だったことです。 だからこう考えると韓国の民衆の方が、進んでいた、と言うこともできます。
日本の農民は、維新の動きには全く関係なかったのでした。
これを韓国、中国の民衆の方が進んでいた、と肯定的に見ることが出来ますが、これがその後の歴史にマイナスに影響した、ということも出来ます。
民衆レベルで意識が高くなると、衆愚現象が起こって、引き下がることが出来ない、状態になるからです。
以上韓国人の自立の意識について、司馬氏および現代日本の大多数が間違っていることを説明しました。
まとめ 「韓国は外国の侵略によってしか変われない国だから、韓国を変えるために日本が侵略してやったのだ」という司馬史観は、良識ある人間なら絶対に言ってはならない、不道徳な考えです。
なお無能力が、自衛力(軍事力)のことだとすれば、それは前回すでに書きました。
韓国の仮想敵国としては、中国は同盟国なのだから、中国は除くと、ロシアと日本しかない。 ロシアには侵略する意思は無かったことは、前回説明しました。
ロシアにその気が無いのですから、西洋諸国にも侵略の意思はなかった、と言えます。
だから日本に対する自衛力だけが無かった、ということになります。
ということは司馬氏の発言は「韓国には日本の侵略に備えた自衛力が無かった、だから日本が侵略してやった」という意味になります。
これはもう強盗仲間の論理であって、思想としていえるようなものではありません。 |
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