司馬小説賞賛
小林哲夫 : 2010/03/07(Sun) 08:08
No.162
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今回から方向転回します。奇妙な転回ですので、注意して読んでください。
いままで司馬史観をさんざん批判してきたのですが、実は私は「坂の上の雲」は大変素晴らしい小説だと思っています。 私自身あの長い小説を大変面白く読みました。 何よりも日清日露戦争に至るあの当時の雰囲気を生き生きと見事に描いています。
そしてもっとすごいのは、それを現代日本人が、万感の思いを込めて読み込み、そして感動している、という事実です。 この現代日本の国民的人気を考えれば、まさに国民作家と言って良いと思います。
ついでに言えば、私は「竜馬がゆく」も大好きで、私の幕末の歴史知識の大部分はこの小説によって作り上げたものです。 もうひとつ加えますと、「街道を行く」シリーズも半分くらいは読んでいます。 これは司馬氏の知性と良識が信頼できて、旅行の前には読んでから出かけることにしています。
要するに私は「司馬遼太郎ファン」だと言ってもいいと思っています。
「坂の上の雲」という小説が素晴らしいのは、この当時の日本人が日清日露戦争をどういう気持ちで戦ったか?と言う真実を、生き生きと、見事に描いているからなのです。
当時の日本人は、これこそ日本が生き抜くための唯一の道だと信じて、文字通り命を賭けて生きぬいたことが、解る小説になっています。
そしてその懸命に生きた明治時代の日本人に、今の日本人は誇りをもっていて、そのことをこの小説によって確認する、ということが司馬小説に今人気がある理由なのです。
そういう現代日本人の気持ちを見事に捕まえた小説家が、司馬遼太郎という人だと思います。
明治時代の日本人が、真剣に戦争に突入したことを生き生きと描き、そういう日本人を誇りに思っている今の日本人の気持ちを捉えた小説、と言えます。
以上が司馬小説の素晴らしさを認めた考えです。
さて、私は今日清日露戦争は、間違った戦争だった、と思っていて、そのことを延々と書いてきましたが、それがこの小説に書いてないからと言って、歴史家ではない司馬氏という人間を非難するのは筋違いだと思います。
また日本のためにと一生懸命に生きた明治の日本人を非難するのも間違いだと思っています。
そんなに簡単に批判してはいけないことだと思っています。
そんな批判をしたら、「自分を、それほど偉い人間だとうぬぼれているのか?」と逆に批判されても、仕方が無いようなことです。
しかし現代に生きていると言うことは、結果を知ってしまった者の特権があるのです。
例えば当時の日本人が、戦おうとしている当のロシア政府が、今どう考えているか?ということを知るのは不可能なことです。
しかし今のわれわれはロシア政府が実はどう考えていたか?朝鮮を領有したいと言う気持ちは無かった、ということを知ることが出来るようになったのです。
現代に生まれた者の特権によって、結果論として歴史の誤りを指摘することが出来るようになっただけのことなのです。
歴史の結果を知ったからといって、特別偉いわけではありません。 だからその特権を振り回して、懸命に生きた歴史の当事者を非難してはいけません。
しかし歴史の過ちを知った以上、その間違いを間違いと認めることが必要です。 その間違いを反省し、過ちを繰り返さないように警戒することが歴史学の役割だと私は思っています。
結論
日清日露戦争を懸命に戦った日本人を生き生きと描き、時代の雰囲気を的確に描写して、現代日本人の気持ちを捉える小説に作り上げた。 ここまでが小説家として、素晴らしいところです。
問題はむしろ読者の方にあります。
日清日露戦争に突入したその時代の雰囲気を無批判に肯定して、日本の野蛮な過去を反省できていない、読者の方に問題があるということです。
つまり司馬史観批判は、司馬氏やその小説を批判したものではなくて、日清日露戦争を反省していない現代日本人を批判しようとするものでした。 |
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