戦争責任について;軍部責任論批判
小林哲夫 : 2010/03/13(Sat) 06:18
No.176
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ごきぶりさん ご批判をありがとうございました。言われるとおり壷をはずした反論をして、失礼なことをしたように思います。 私の真意は、司馬史観を国民の史観と強調して、こういう国民のあり方を全力を挙げて批判しない限り、有効な戦争反対の思想にはならない、ということを言いたいことにありました。この真意を是非ご理解下って、今後とも、このような生き生きとしたご批判をお願いいたします。
ということで、司馬史観批判の続きに戻ります。
かつての戦争について、「戦争責任の追及」ということがあります。
司馬史観では、「軍部の横暴が戦争の原因であり、軍部に責任がある」とまとめられると思います。
しかし司馬史観を間違いとし、日清日露から日本は間違っていた、と考えると、軍部責任論は、あてはまらなくなります。
軍部の横暴は太平洋戦争の前あたりから激しくなったのであって、日清戦争のころにはそういう要素は無かったからです。 (この見方は司馬氏に賛成しています。)
司馬氏には天皇責任論はありませんが、一部の左翼には未だに天皇の責任を追及する人がいます。
しかし日清戦争の責任を考えて見ると、天皇の責任を追及することが的外れであることが解ってきます。
日清戦争について、明治天皇は、 「この戦争は朕の戦争ではなく、大臣の戦争である」 とはっきりと言っています。
つまり従来の左翼は、「かつての戦争」のことばかり考えていて、戦争の本当の原因(責任)を考えることを怠ってきた、と私は考えています。
それも「かつての戦争」を、狭く日米戦争だけに限定して考えていて、まとはずれな史観を持って過去を反省しています。
日清戦争の戦争責任を考えて見れば、軍部や天皇の責任などと単純化することは出来ないことがすぐわかると思います。
軍部批判や天皇批判を続けている左翼の人々は、司馬史観と同じ種類の間違いを犯していると私は思っています。
戦争反対思想をここから作り直さないと、本当に有効に戦争を防止できない、というのが、私の司馬史観批判の次のステップなのですが、こういう考えは如何でしょうか?
ごきぶりさんのこの考えについての感想を是非聞きたいものです。
蕁麻疹が起こらなければ良いが・・・という心配はありますが・・・。
ご批判を頂いて、論を進めるのが、大変役に立ちますので、ここまでのご縁を契機に、ご協力いただければうれしく思います。 |
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