ロシアの朝鮮観(1)
小林哲夫 : 2010/03/19(Fri) 11:25
No.183
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日露戦争は戦う必要の無い戦争だった、ということは重要ですので、もう一度繰り返します。 ロシアの側は、当時朝鮮を必要としていなかった、だからそのために戦争する気は無かった、ということです。 日露戦争は日本の側の過剰防衛が原因だという見方です。 そのことをもう一度確認しておきます。
以下再録 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 和田春樹東大名誉教授発見情報 2009,12,7付け北陸中日新聞
日露戦争開戦一ヶ月前、ロシア側の主戦派の一人と考えられていた、ベゾブラーゾフが戦争を回避しようと準備した1904年1月10日付日露同盟案で 「ロシアが遼東半島を越えて、朝鮮半島、中国深部に拡大することはまったく不必要であるばかりか、ロシアを弱化させるだけだろう」とある。 ベゾブラーゾフは皇帝からの信頼が厚く大臣待遇の政治家。 (以上の情報はネットで得ることが出来ます。http://www.chibanippo.co.jp/news/world/entertaiment_kiji.php?i=nesp1260167476)
この当時のロシアは朝鮮に魅力を感じていなかった。 その理由は、朝鮮を植民地にしても、利益が期待できなかった。 この当時の帝国主義というのは、産業革命で大量生産された商品の販路を求めたものですが、朝鮮にはそういう商品の購買力が認められず、ロシアは売るべき商品を持たなかったのです。 また仮に朝鮮を植民地になどしたら、欧米諸国を刺激して、国際的に孤立してしまうから、そういうことは考えませんでした。 また朝鮮半島の長い海岸線を守るだけの海軍をロシアは持たなかったので、この意味でも、植民地にする気はありませんでした。 (しかしながら朝鮮を日本が支配することは認められない、という立場であることはいうまでもありません。)
また1900年ころ、ヨーロッパではドイツの脅威が高まっていて、それに対抗するために、極東のことに関わる余裕もありませんでした。 ウィッテ、クロパトキン陸相、ラムズドルフ外相、らは、日本との軍事的衝突は絶対に避けるべきだと主張し、満州からの撤退をすることさえ提案していた。 皇帝はこれらを了承し、韓国全土を日本の勢力圏にすることを認めた。 しかしこの決定が日本政府に伝達されるのが遅れたために、日本政府は好戦的世論に押されて開戦してしまったのでした。(小森陽一著から)
このことは加納格氏と和田春樹氏の研究があり、それぞれ報告されています。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 以上再録 |
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