小林 様
森 一敏 : 2010/04/05(Mon) 00:04
No.196
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市民の政策研究会共同代表の森 一敏です。研究会を代表する立場ですので、掲示板投稿をめぐって議論になっていますから、私の意見を申し述べます。
まず、掲示板を設置しているのは私ども市民の政策研究会であります。ご案内のように、多様な意見反映をもとめる掲示板です。その性格上、投稿には節度を持って臨んで頂くのが当然のエチケットではないでしょうか。その節度を超えていると設置・管理者の当方が判断していることを受け止めて頂きたい。連載的投稿は、ご自身が開設されているサイト上で展開なさって頂ければよい訳ですから。
以上は、他者が開設監理しているサイトへのアクセスの基本倫理としてご理解願います。 さて、私には、小林様が不再戦のために50年間の侵略史の反省が必要とおっしゃりながら、なぜに、日本平和民族論を持ち出されるのか理解に苦しみます。植民地にされないために植民地化に乗り出したことの誤謬をおっしゃっています。後から見て杞憂に過ぎなかったことの愚かしさをおっしゃっています。しかし、これでは、なぜ、平和愛好民族が植民地獲得の侵略戦争を犯したのか、その説明がつきません。 この点について、実証的な歴史学では、日本の植民地政策は、後発の帝国主義であり、武力による大陸侵略は、軍事力を先行させてあとから資本が乗り込んでいく特質をもっていたと分析されています。帝国主義の植民地分割に後から割って入ったのが日本帝国主義であったのです。それは被植民地化への恐怖などではなく、植民地獲得への熱烈な動機であったのです。 軍隊の残虐性や兵士の人権無視が際だっていたことも、市民革命を経ない日本の歴史的段階のなせるものと戦場体験者の歴史学者藤原彰さんが喝破しています。この凄惨な50年に及ぶ戦争政策を誰が、どのような潮流がいかなる利害に基づいて発動していったのかを史実に即して分析していくことに、戦争の原因把握が成り立ち、平和的手段による経済や外交政策を求める人々の社会認識が育てられるのではないでしょうか。 いかなる国にも戦争を嫌い、平和を愛する民衆は存在しています。ひとり日本「民族」が平和愛好なのではありません。平和愛好民族だから平和憲法が定着できるのではなく、過去の過ちを振り返り、戦争の悲惨や痛みを深く刻み込むこと、そして他国にその痛みを負うおびただしい人々と遺族が存在していることに真摯に向き合うことが、再戦を阻む平和憲法を護り生かしめるのではないでしょうか。幾多の侵略や戦争の惨禍に学んで世界の人権規範として国際人道法が構築されてきたように。 私たちは、戦争によって利益を得ようとする勢力に対して、戦争の違法化を求める国際的潮流とまさに国際的な連帯を結びたいと願います。 そのようなアプローチで戦争責任と平和構築に迫ろうとする議論を「左翼」「残虐志向」と決めつけ、民族性の優位性を表現すると受け止められるような「平和愛好民族」とひとくくりにすることは、戦争のメカニズムから目をそらし、そこにある戦争指導の責任を免罪する効果を発揮することを危惧致します。 |
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