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侵略戦争の父;福沢諭吉(2)    小林哲夫 : 2010/03/17(Wed) 13:44 No.180
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くま 福沢諭吉の考えは「朝鮮はだらしない国で、自分で近代化する力が無いから、日本が軍事力を行使して近代化してやるのだ。」というものとまとめることが出来ます。

当初朝鮮の開明派を支援したのも、この発想の一環に過ぎず、最初から朝鮮を日本が支配しようとした行動であって、この隣国支援をもって、福沢の善意と見たり、はじめは正しかったと見るのは間違いです。

福沢諭吉は、日本の軍国主義的侵略の急先鋒だったと言えます。

さて現在の日本では、福沢は日本近代化の父と認められて、日本の近代国家形成、民主主義導入に多大な貢献をした、と肯定的に見られています。

この福沢の民主化等の肯定面と、侵略的な否定面との関係について、考える必要があります。
丸山真男は戦後福沢を高く評価して、現在の福沢偉人論の常識を作り上げました。
しかし丸山真男は否定的側面を全く見ることが出来ませんでした。この間違いの原因は、肯定面の過大評価によって、否定面が見えなくなったためと考えられます。

福沢の肯定面(民主化とか近代化)を、過大評価すると、侵略的で否定面な側面を無理矢理好意的に解釈したり、侵略的側面を見落としたりします。


丸山ほどではなくとも、福沢の否定面を、ちょっとした脱線程度のことと好意的に見る日本人が多いのには驚かされます。

また朝鮮の開明派を支援したことを、「福沢も始めの内は良かった」、と好意的に見る人が左翼の中にさえ多いのが現状です。

こういう現象が起こるのは、肯定面と否定面を別のことと理解する人が多いからだと思います。
福沢の肯定面、否定面は一体をなすもので、これを別々に離して考えることの出来ないものである、という私の考えを以下では述べたいと思います。

「近代化とは何か?」
結論から言えば、近代化という現象は、民主主義と軍国的侵略主義が同時に起こることだと言うことです。

私の言葉の使い方を説明しておきますと、近代化というのは近代国家=民族国家になることと考えます。
民族国家というのは、国民軍を持ち人民主権の制度を持った国という意味です。

民族国家というのは、自分の国は自分で守ると言う意識を持った国民が形成され、その国民による国民軍が出来上がった国のことです。

こういう言葉の使い方を理解してもらうためには、戊辰戦争の時の板垣退助が総大将となって会津を攻めたときのことを例に取ると解りやすいと思います。
会津の町民、農民はその戦争をひとごとと見ていて、戦争を傍観しているのを見て、愕然としたのが板垣の原点になりました。
こういう国民の国は、国家の体をなさない、と板垣は考えて、どうしたら国民に国民意識を植え付けられるか?と考えたのでした。

国民が自分の国と感じられるためには、自分たち国民は平等に政治に参加している、という実感をもてるような体制を作らねばならない、というのが、議会や憲法、身分制の廃止、などを整備する動機でした。

国民全員が自分たちの国と実感できるために「人民主権」という体制が不可欠だったのです。
このような意味で、人民主権(民主主義)と軍国主義ははじめから一体のものなのです。

むしろ軍事強国に成らねばならない、という気持ちが先行し、その後にそのために人民主権が必要だ、と付け加わるようなものなのです。
これはフランス革命時に編成された国民軍のときからの近代化の法則です。
だから自由民権運動家(板垣、大井)は全て、強烈な侵略主義者であって、福沢もその最先端を行く存在になったのは、自然の成り行きです。
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侵略戦争の父;福沢諭吉(2)  - 小林哲夫 2010/03/17(Wed) 13:44 No.180  <<表示中

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