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司馬史観批判(5)   小林哲夫 : 2010/02/24(Wed) 11:23 No.155
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くま 朝鮮の独立のため、という理屈

司馬史観の奇妙なところは、「朝鮮の独立のため」と言う言葉が強調され、堂々と何回もでてくることです。
この言葉に日本人はころりと参ってしまって、この不思議な考えを受け入れてしまっていることです。

日本が一体何故、隣国朝鮮を独立させようとしたのか、意味がわかりません。

とにかく国というものは、独立国でなくてはならない。
しかるに朝鮮は中国の属国で満足していて、独立しようという覇気がない。
よって日本人がそれを教えてやろう、と言う構図でしょうか?

ここにはあたかも朝鮮のために、日本が犠牲になって、戦争をしてやっている、というような恩着せがましい気持ちがこめられています。

この親切の押し売りに何の不思議も感じないのだから、日本人全体がおかしくなっているのです。

朝鮮自身が望んでもいない独立の気持ちを日本人が無理やり持たせることに意味があるでしょうか?

これこそいらぬお節介ではないでしょうか?

福沢諭吉が金玉均などの改革派を支援したりして、朝鮮の独立のために尽くしたことが今でも評価されています。

日本人の中にも朝鮮の改革、独立を真剣に願った人がいた、ということが現代日本人の自慢の様子です。

ところでこんなお節介が本当に自慢になることなのでしょうか?

実はこれは朝鮮のためを考えたお節介ではありませんでした。

この時、福沢諭吉や日本政府がなぜ朝鮮の独立にこれほど力を入れたのか?と言えば、それは「日本が朝鮮を支配しないと日本の安全が守れない」と彼らが考えたからです。

「朝鮮の独立」という言葉は、朝鮮のことを考えたものではなくて、日本自身の利益のためでした。

そして歴史は、朝鮮を日本の支配下に置くためには、中国から朝鮮を独立させる必要があって、そのために中国と戦争をすることになったのでした。

つまり福沢諭吉が朝鮮の独立派を応援したのは、単なるお人よしの善意などではなく、ずるがしこい、利己的な動機だったのです。

しかし福沢諭吉の善意(?)は、その後裏切られることになります。

朝鮮人は悪賢い日本の援助は真っ平御免とこれを拒否し、逆に朝鮮で横暴を極める日本人に対する反感が高まりました。

この朝鮮民衆の反日感情を見た福沢諭吉は、「朝鮮の独立を支援する」などといって、朝鮮人を騙すことは出来ないと悟ったようです。

善意を装って、朝鮮民衆を騙すことが不可能と悟った福沢諭吉は、本性を現して、力で朝鮮を支配することを公言するようになり、「脱亜入欧論」を前面にだすことにしました。

「朝鮮を支配すべし」というのが福沢諭吉のはじめからの本音であって、朝鮮の独立を支援したのは、その後に日本が支配するための単なる一過程(方便)に過ぎませんでした。
だから朝鮮に対する善意などではありえませんでした。

そもそも国際政治に善意などあるはずがありません。
よく考えて見てください。
本当にお人よしの日本人がいたとして、朝鮮独立のために命を投げ出して活躍したとします。そして首尾よく独立したとします。

その後で独立に貢献した日本人は何を要求するでしょうか?
何も要求しないで、清く立ち去るなどということが有りうるでしょうか?
つぎには朝鮮人民と、この独立に貢献した日本人との間の対立が必ず起こると思いませんか?


朝鮮は中国から独立することを望んでいたわけでは有りません。

それよりは日本の干渉を排除したいと言う気持ちを強く持っていました。

だから独立と言う言葉が意味があるとすれば、「日本からの独立」と言うことだったに違いありません。

これは大東亜共栄圏の思想で占領されたアジアの国々の人々の気持ちを考えれば容易に想像できることです。

アジアの独立のために、と戦争をした、日本人が如何にアジアの人々から憎まれたか?ということを忘れてはいけません。
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