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司馬史観は国民的史観     小林哲夫 : 2010/03/09(Tue) 18:09 No.164
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くま ここまで「日清・日露戦争までの日本は素晴らしかったという、いわゆる司馬史観」を批判してきました。
「15年戦争を侵略戦争として反省するのならば、その始まりは日清戦争にある」と考えなければならない、と書いてきました。

しかしながらこういう批判的な考えを持つ人は、極めて少数で、大部分の日本人は、「坂の上の雲」に深く同感して、読んでいます。

明治の人々は、西洋の植民地にならないためには、日本も植民地を持たなければならない、と考えたようです。
西洋に侵略されないために、アジアを侵略しなければならないと考えたようです。

そして現代日本人の多くの人が、それは正しかった。

明治の人のそういう努力のお蔭で現在の日本がある、と信じています。

明治の人々が、熱狂的な気持ちをもって、日清・日露戦争を戦った、そういう戦争に心底尊敬と感謝の念を持っているのが実情です。

こういう現代日本人の心情があるからこそ、司馬小説は圧倒的支持を得て、国民作家といわれています。

日清・日露を全身全霊を挙げて戦い、その戦争に命を賭けた時代の雰囲気を生き生きと描いた小説として、司馬小説は素晴らしいものがあります。

つまり当時の日本国民が持っていた世界観(史観)を見事に描いた小説と言えます。

その明治人の心情を生き生きと描くことが、現代の日本人に喜んで受け入れられることが司馬氏には解っていました。

現代人の心情に訴える小説を書き上げた司馬氏の才能は素晴らしいと思います。


ところで、明治時代の日本国民の世界観を、現代の日本国民が圧倒的に肯定している現状を見れば、この世界観は明治以来一貫して続いてきた、国民的史観だといえます。

こういう意味で、司馬史観は、明治の国民の史観を描きつつ、現代の国民的史観を作り出している、と言えます。

司馬史観といわれる史観は、司馬氏個人の史観なのではなくて、明治人の史観であり、それが同時に現代日本国民の史観になっているということです。

つまり司馬史観は、日本国民の史観といえます。

だからこの司馬史観を批判するということは、現代日本人の史観の批判に他なりません。

司馬氏が描いた史観は、司馬氏が個人的に間違ったのだ、というように矮小化して批判してはいけないのであって、日本国民全体に対する批判の方向に、役立てねばなりません。

司馬氏が間違ったことを書いているから司馬史観を批判すると言うのではなくて、まず司馬氏の小説が描いた明治の雰囲気の描写のリアルさ、面白さに感服して読むべきと思います。

かくも国民的支持を得ていると言う、その人気の大きさに注目して、その大きな力に、微力な我々が意義を申し立てる、という心構えです。

くれぐれも、私の司馬史観批判を、司馬氏個人を批判しているものと誤解しないようにお願いします。

この小説をくだらん小説だと切り捨てる人がいたら、それこそ大きな間違いだ、と言いたいのです。

司馬氏の小説は、我々が真剣に立ち向かう価値の有る、芸術作品だと思います。
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