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「アイデンティティに先行する理性」を養うために 金田小夜子
第二回の輪読会は、予想通り、かなり手強い内容であり、一度読んでもすんなり頭に入らず、注釈を読めば却って理解できなくなり、密かに「アイデンティティに逆行する理性」の持ち主ではないかと心配していた。勿論私がであるが・・・・。
出席者も心なしか目減りして、読む順番もすぐ回ってくる。
ここでカミングアウトしておくが、以前より、左眼の白内障が進んで読み辛い(読めないのではない!)ことこの上なし。こっそり先生に頼み込んで外してもらい黙読に徹していたが、5月7日に無事手術を終えた。当分はメガネも作れず大して視力も上がらないので、申し訳ないが、今後も音読はご容赦願いたく、皆様のご理解をいただきたい。
さて、内容は、始めてみると適切な例示もあり、抽象的な文脈を丁寧に読み解いていくことで、100%とはいかないまでも八割方は理解できたのではと自己満足している。但し試験をされたら、すぐにボロが出そうなので、この文章で代替させてもらえれば幸いである。
アイデンティティ=自己同一性と昔は教わったようで、その対象が何であるか深く考えないまま来てしまったので、セン氏の「アイデンティティ」に関す考察にはいたく感心した。
特に「社会的アイデンティティが人間の行動に対して重大な影響を及ぼし、まさに「人間生活の中心にある」状況で、一人の人間が様々な共同体に属していることに起因する葛藤からの自由を認め、アイデンティティの「発見」や「選択」が可能であることを教示してもらえたのが収穫であった。
「アイデンティティに先行する理性」とまでは行かないが、私の場合は「アイデンティティに併行する理性」あたりかなと考えている(?)。
個人を幸せにしない、人権を無視した共同体を批判していくことこそが人類全体に「公正な正義」をもたらすのだと思うし、元来、日本人ということにあまり重きを置かない人間なのでセン氏の主張には大いに頷ける点が多々あった。
それだけに、謙虚に「理性」を養っていきたいと願っている。何をすればよいのか、やはり『くるま座』で地道に学んでいくこと、その結果を実践していくことだろう。幸いに眼も少しクリアになったので、頭の方も比例させて曇りを晴らしていきたい。希望を持って(ノー天気と同義語かもしれないが)、次回の「歴史認識」にも取り組みたい。
(2009年5月15日 記)
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