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侵略戦争の父;福沢諭吉(2)    小林哲夫 : 2010/03/17(Wed) 13:44 No.180
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くま 福沢諭吉の考えは「朝鮮はだらしない国で、自分で近代化する力が無いから、日本が軍事力を行使して近代化してやるのだ。」というものとまとめることが出来ます。

当初朝鮮の開明派を支援したのも、この発想の一環に過ぎず、最初から朝鮮を日本が支配しようとした行動であって、この隣国支援をもって、福沢の善意と見たり、はじめは正しかったと見るのは間違いです。

福沢諭吉は、日本の軍国主義的侵略の急先鋒だったと言えます。

さて現在の日本では、福沢は日本近代化の父と認められて、日本の近代国家形成、民主主義導入に多大な貢献をした、と肯定的に見られています。

この福沢の民主化等の肯定面と、侵略的な否定面との関係について、考える必要があります。
丸山真男は戦後福沢を高く評価して、現在の福沢偉人論の常識を作り上げました。
しかし丸山真男は否定的側面を全く見ることが出来ませんでした。この間違いの原因は、肯定面の過大評価によって、否定面が見えなくなったためと考えられます。

福沢の肯定面(民主化とか近代化)を、過大評価すると、侵略的で否定面な側面を無理矢理好意的に解釈したり、侵略的側面を見落としたりします。


丸山ほどではなくとも、福沢の否定面を、ちょっとした脱線程度のことと好意的に見る日本人が多いのには驚かされます。

また朝鮮の開明派を支援したことを、「福沢も始めの内は良かった」、と好意的に見る人が左翼の中にさえ多いのが現状です。

こういう現象が起こるのは、肯定面と否定面を別のことと理解する人が多いからだと思います。
福沢の肯定面、否定面は一体をなすもので、これを別々に離して考えることの出来ないものである、という私の考えを以下では述べたいと思います。

「近代化とは何か?」
結論から言えば、近代化という現象は、民主主義と軍国的侵略主義が同時に起こることだと言うことです。

私の言葉の使い方を説明しておきますと、近代化というのは近代国家=民族国家になることと考えます。
民族国家というのは、国民軍を持ち人民主権の制度を持った国という意味です。

民族国家というのは、自分の国は自分で守ると言う意識を持った国民が形成され、その国民による国民軍が出来上がった国のことです。

こういう言葉の使い方を理解してもらうためには、戊辰戦争の時の板垣退助が総大将となって会津を攻めたときのことを例に取ると解りやすいと思います。
会津の町民、農民はその戦争をひとごとと見ていて、戦争を傍観しているのを見て、愕然としたのが板垣の原点になりました。
こういう国民の国は、国家の体をなさない、と板垣は考えて、どうしたら国民に国民意識を植え付けられるか?と考えたのでした。

国民が自分の国と感じられるためには、自分たち国民は平等に政治に参加している、という実感をもてるような体制を作らねばならない、というのが、議会や憲法、身分制の廃止、などを整備する動機でした。

国民全員が自分たちの国と実感できるために「人民主権」という体制が不可欠だったのです。
このような意味で、人民主権(民主主義)と軍国主義ははじめから一体のものなのです。

むしろ軍事強国に成らねばならない、という気持ちが先行し、その後にそのために人民主権が必要だ、と付け加わるようなものなのです。
これはフランス革命時に編成された国民軍のときからの近代化の法則です。
だから自由民権運動家(板垣、大井)は全て、強烈な侵略主義者であって、福沢もその最先端を行く存在になったのは、自然の成り行きです。
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侵略戦争の父;福沢諭吉    小林哲夫 : 2010/03/16(Tue) 20:06 No.179
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くま 福沢諭吉は日本の近代化の父、と言われています。
この言い方に私は異存は無いのですが、同じような意味で、同時に侵略戦争の父でもあったことを認識すべきと思います。

福沢諭吉が、如何に侵略的思想で、日本国民を先導したか?ということを「醍醐聰のブログ」から引用しますので、よく読んでみてください。
http://sdaigo.cocolog-nifty.com/

以下醍醐ブログ
ーーーーーーーーーーーーーーーー
「朝鮮の交際を論ず」(『時事新報』明治15年3月11日付社説)

 「今の支那国を支那人が支配し、朝鮮国を朝鮮人が支配すればこそ、我輩も深く之を憂とせざれども、万が一も此国土を挙げて之を西洋人の手に授るが如き大変に際したらば如何。恰も隣家を焼て自家の類焼を招くに異ならず。西人東に迫るの勢は、火の蔓延するが如し。隣家の焼亡、豈恐れざる可けんや。故に我日本国が、支那の形勢を憂ひ、又朝鮮の国事に干渉するは、敢て事を好むに非ず、日本自国の類焼を予防するものと知る可し。」
 「仮令ひ或いは自衛の備えを要せずとするも、彼の国人心の穏やかならざる時に当て、我武威を示して其人心を圧倒し、我日本の国力を以て隣国の文明を助け進るは、両国交際の行き掛りにして、今日に在ては恰も我日本の責任と云ふ可きものなり。
 我輩が斯く朝鮮の事を憂て、其国の文明ならんことを冀望し、遂に武力を用ひても其進歩を助けんとまでに切望するものは、唯従前交際の行き掛りに従ひ、勢に於て止むを得ざるものあればなり。・・・・此時に当て亜細亜洲中、協心同力、以て西洋人の信凌を防がんとして、何れの国かよく其魁を為して其盟主たる可きや。我輩敢て自から自国を誇るに非ず、虚心平気これを視るも、亜細亜東方に於て、此首魁盟主に任ずる者は我日本なりと云はざるを得ず。」


つまり、福沢の脱亜論は消極的な「脱亜」ではなく、文明開化を助けるという尊大なアジア蔑視の思想を錦の御旗にして、朝鮮への武力侵略を正当化するイデオロギーにほかならなかったのである。また、彼の「入欧」とは西洋文明への同化ではなく、アジアの盟主として欧米列強のアジア進出に対抗するためのイデオロギーにほかならなかったのである。言い換えると、「脱亜」と言いつつ、日本をアジアの盟主と呼び、「入欧」と言いつつ西洋列強との対抗を唱導する福沢の主張には論理的な首尾一貫性はなかったものの、その後に日本を席巻した「大東亜共栄圏」の原型というにふさわしいものだった。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
以上引用
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時代を駆ける 土井香苗   ご老体 : 2010/03/15(Mon) 09:32 No.178  HomePage
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うし Download:178.pdf 178.pdf
毎日新聞の「時代を駆ける」の連載記事で「土井香苗」さんが、紹介されていました。

「くるま座」資料室の17docをクリックしてください

ご老体は、恥ずかしながらも、この女性を知りませんでした。

世界人権宣言云々といいながら、現実の現場で活躍されている人を知らないというのも、全く恥ずかしい話で、反省をこめて「土井香苗」さんの記事を紹介しておきます。ぜひ、一度お読みください。

土井香苗 KANAE DOI

ヒューマン・ライツ・ウォッチ日本代表。75年神奈川県生まれ。東京大学法学部3年の時に司法試験に合格。97年5月〜98年5月、アフリカ・エリトリアで同国法務省調査員として刑法整備に協力。00年、弁護士登録。05年米ニューヨーク大ロースクールに留学し修士号取得。原爆症認定訴訟やアフガニスタン難民弁護団などで活躍。著書は「“ようこそ”と言える日本へ」(岩波書店)など。


毎日新聞 3月 記事より

時代を駆ける:土井香苗/1 人権侵害を調べ、知らせ、変える
KANAE DOI

 <04年4月、日本人3人がイラクで武装グループに拘束される事件が起きた。犯人側は「自衛隊撤退」を要求、日本国内では3人の「自己責任」を問うバッシングが起きた。解放・帰国から約2週間。東京・霞が関の弁護士会館で、ジャーナリストの郡山総一郎さんら2人が約300人の報道陣の前で記者会見した。この時、司会を務めたのが弁護団の一員だった28歳の土井さんだ>

 フラッシュのまぶしさを思い出します。郡山さんが「危険を承知で、真実を知らせるのが仕事」と語ったことも。弁護団は、報道対応、支援署名集め、家族のケアに取り組んでいました。首相官邸の世論誘導に驚きました。自衛隊派兵で世論が二分されていた時の撤退要求。国家の一番の急所を突かれると、本気で反撃することを知りました。怖いと感じました。

 続きは「くるま座」資料室の17docをクリックしてお読みください

 @「会について」をクリック  
 A 資料室をクリック
 B 時代を駆ける 土井香苗の記事のうち17docをクリックする

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提案;近代日本の戦争を「50年戦争」と名づける   小林哲夫 : 2010/03/14(Sun) 09:01 No.177
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くま 戦後の日本人が「あの無謀な戦争」と言って、反省したのは、日米戦争のことです。

あの戦争が始まったのは、真珠湾奇襲からだ、と考えている日本人が大部分です。

しかしながら、日本人が本当に反省しなければならないのは、中国への侵略だと思います。
つまり満州事変に始まり、日中戦争を経て、日米戦争に至る、足掛け15年にわたる戦争全体が問題なのです。

こういう問題意識を鮮明にするために「15年戦争」という名前を付けて、反省する事は、どうやら定着しているように思われます。

さて今回の司馬史観批判が定着するようになれば、日清戦争以来の全ての戦争が反省の対象になります。

15年戦争という言葉が、定着したのは、逆に言えば、満州事変以後の戦争が悪い戦争で、それ以前の戦争は、正しかった、という司馬史観が基礎になっていた、ともいえます。

だから15年戦争だけが悪いのではない、それ以前の戦争はもっと悪い、ということがわかった以上、我々は日本の侵略戦争全体をまとめて「50年戦争」と名づけるのが適当ではないでしょうか?

1894年;日清戦争
1904年;日露戦争
1914年;一次大戦
1918年;シベリア出兵
1927年;山東出兵
1931年;満州事変
1937年;日中戦争
1941年;日米戦争
1945年;敗戦

と言う具合に殆ど連続的に戦争状態にありました。
日本が侵略戦争に明け暮れていた期間を我々は相当長い、と感じていますが、江戸時代250年の平和の後の、実は50年間に過ぎないことを再確認してほしいと思います。

そして現在は敗戦後60年を越えて、戦争時代よりも長い平和時代を謳歌していることが重要です。

こういう風に日本歴史を長期的に見て、日本史の例外の野蛮な期間として、「50年戦争」と名づけて、一まとめにして反省することを提案します。

次に考えるべきなのは、この例外の50年はどうして起こったのか?という意味での「戦争責任」の問題です。(つづく)
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戦争責任について;軍部責任論批判   小林哲夫 : 2010/03/13(Sat) 06:18 No.176
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くま ごきぶりさん ご批判をありがとうございました。言われるとおり壷をはずした反論をして、失礼なことをしたように思います。
私の真意は、司馬史観を国民の史観と強調して、こういう国民のあり方を全力を挙げて批判しない限り、有効な戦争反対の思想にはならない、ということを言いたいことにありました。この真意を是非ご理解下って、今後とも、このような生き生きとしたご批判をお願いいたします。

ということで、司馬史観批判の続きに戻ります。

かつての戦争について、「戦争責任の追及」ということがあります。

司馬史観では、「軍部の横暴が戦争の原因であり、軍部に責任がある」とまとめられると思います。

しかし司馬史観を間違いとし、日清日露から日本は間違っていた、と考えると、軍部責任論は、あてはまらなくなります。

軍部の横暴は太平洋戦争の前あたりから激しくなったのであって、日清戦争のころにはそういう要素は無かったからです。
(この見方は司馬氏に賛成しています。)

司馬氏には天皇責任論はありませんが、一部の左翼には未だに天皇の責任を追及する人がいます。

しかし日清戦争の責任を考えて見ると、天皇の責任を追及することが的外れであることが解ってきます。

日清戦争について、明治天皇は、
「この戦争は朕の戦争ではなく、大臣の戦争である」
とはっきりと言っています。

つまり従来の左翼は、「かつての戦争」のことばかり考えていて、戦争の本当の原因(責任)を考えることを怠ってきた、と私は考えています。

それも「かつての戦争」を、狭く日米戦争だけに限定して考えていて、まとはずれな史観を持って過去を反省しています。

日清戦争の戦争責任を考えて見れば、軍部や天皇の責任などと単純化することは出来ないことがすぐわかると思います。

軍部批判や天皇批判を続けている左翼の人々は、司馬史観と同じ種類の間違いを犯していると私は思っています。

戦争反対思想をここから作り直さないと、本当に有効に戦争を防止できない、というのが、私の司馬史観批判の次のステップなのですが、こういう考えは如何でしょうか?

ごきぶりさんのこの考えについての感想を是非聞きたいものです。

蕁麻疹が起こらなければ良いが・・・という心配はありますが・・・。

ご批判を頂いて、論を進めるのが、大変役に立ちますので、ここまでのご縁を契機に、ご協力いただければうれしく思います。
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小林先生! もうお手上げです!そのさん   ごきぶりほいほい : 2010/03/13(Sat) 00:03 No.175
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うし 小林先生! もうお手上げです!  そのさん
 



任安に与うる書  

「本来自分は死を恐れない、あの事件の時、死を選ぶのは実に簡単な事だったが、もしあの時死んでしまっては自分の命など九頭の牛の一本の毛の価値すらなかった。死ぬことが難しいのではない、死に対処することが難しかったのです。自分が死んでしまえば史記を完成させることが出来ない、仕事が途中のままで終わるのを自分はもっとも恥とするところでした」と述べ、更に「そもそも宦官として生き恥を晒している自分が賢人を推薦するなど滅相も無いことであったのです。今の自分はただ、『史記』の完成のためだけに生き永らえている身であり、この本を完成させて原本を名山に納め、副本を世に流布させることが出来たなら、自分は八つ裂きにされようともかまいません




本当に最後、これが、「批判・酷評大歓迎です」の小林先生への最後のメッセージです。

<こういう認識が出来るようになるためには、司馬氏を「くだらん!」などといって、切り捨ててはいけません>」と先生は、俺を何回も批判しているが、俺は「くだらん」とただの一回も使っておらん!!

先生の地の文章を引用した箇所<くだらんと書かれた文章はくれぐれも、私の司馬史観批判を、司馬氏個人を批判しているものと誤解しないようにお願いします。この小説をくだらん小説だと切り捨てる人がいたら、それこそ大きな間違いだ、と言いたいのです>にたった一回、使われているだけだ!!

さようなら!!小林先生!! 「壺をはずさないよう」お気をつけ遊ばせ!!


 決して、<つまり日本に現実に存在する平和思想は、中途半端なもので、今後の日本の平和維持のためには、むしろ害になると言うことです。「護憲」という一つの言葉で、団結しているように見える九条の会というものも、現実を見れば、こういう相容れない人々の野合としか言えません。九条の会の人々の戦争反対の気持ちに嘘はない、ということは信じられますが、もっと思想的に一貫したものにならないと、危ういと思います>なんていってはいけませんよ。俺の「人を馬鹿!と言ってはいけない 」 レベルに落ちてしまいますよ。 

   合掌
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小林先生! もうお手上げです! そのに   ごきぶりほいほい : 2010/03/13(Sat) 00:00 No.174
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ぶた 小林先生! もうお手上げです! そのに



 安倍の山奥に住んでいると、地面に這い蹲り、落ちている米の一粒をそっと懐にしまいこまねばならぬ庶民の夢」を書きたくなる。百姓が、土を鍬き、畑や田を耕すそのとき、帝都で偉くなるべき勉学に勤しみ「戦争」を企画している輩がいる、「庶民」がいる。そのことを俺は書きたかったのだ。
 
 ちなみに、物識りの小林先生ご存知でしょうが、安倍の山奥では、過って、在日韓国人へ不当な差別に反対し、「天皇」に朝鮮の植民地支配の謝罪を求めた「金喜老」事件があったことを記しておきます。司馬さんは「こんな人」を描かれますかな?


司馬遼太郎は確かにすぐれた作家だと、俺も思う。しかし、俺が書いたように、英雄豪傑のくだらないエピソードの連続が、嘘や真やつらつら書き綴り、書きなぐられているだけではないか!!!>というのもさほど間違っていないと思う。

司馬の本の人気は、「かって、歴史の教科書や、講談、テレビドラマで見たこと聞いたことのある人物と出来事」を人々の欲望の募る方向に焼きなおしているからだろうと思う。

井上靖が、例えば、「孔子」を書くとする。そこには「蔫薑 ( えんきょう)という人物が登場するが、この人物は、井上が作り出した架空の人物である。蔫薑 (ひねしょうが)が狂言廻しを演じながら小説を膨らませていく。また「天平の甍」でも「普照、栄叡」という架空の人物を生み出している。井上の小説の中にあるのは「創造が生み出す人間」であって、事実に依拠し、エピソードに依拠して物語を書く司馬遼太郎は「こんなにも多くの普通の日本人が愛読して、尊敬していると言う事実を、軽視する人は庶民感覚から、よほど外れています」という先生にお似合いなのでしょう。

更に、もうひとつだけ書く。

小林先生は、司馬さんは<「坂の上の雲」については、少々反省していて、映像化を禁止していた、という良心的なところも有った作家です>とお書きになっていますが、確かに俺もそのように聞いているが、もしそうだとすれば、自らの手で、「坂の上の雲」を裁断すべきであったと俺は思う。

司馬さんは「さわ、いいながら、それは少々。お国のためになる」という確信があったのでしょうね。つまり、「「坂の上の雲」を事実として書いたという確信があって、いずれ、映像化されることを確信していたのではないでしょうか。ああ、「私はあのドラマもなかなか面白く、有益なものだ、と思っているのです」という先生でした、<映像化を禁止していた、という良心的なところも有った作家です>というのはとってつけた言葉でした。

 司馬遷は「史記」を書き表わすにあたって、「任安に与うる書」を書いている。司馬遼太郎は自らの文章に「きんたま」をさしだせるか!!


任安に与うる書  

「本来自分は死を恐れない、あの事件の時、死を選ぶのは実に簡単な事だったが、もしあの時死んでしまっては自分の命など九頭の牛の一本の毛の価値すらなかった。死ぬことが難しいのではない、死に対処することが難しかったのです。自分が死んでしまえば史記を完成させることが出来ない、仕事が途中のままで終わるのを自分はもっとも恥とするところでした」と述べ、更に「そもそも宦官として生き恥を晒している自分が賢人を推薦するなど滅相も無いことであったのです。今の自分はただ、『史記』の完成のためだけに生き永らえている身であり、この本を完成させて原本を名山に納め、副本を世に流布させることが出来たなら、自分は八つ裂きにされようともかまいません
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小林先生 ! もうお手上げです! そのいち   ごきぶりほいほい : 2010/03/12(Fri) 23:55 No.173
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ぶた 小林先生! もうお手上げです そのいち


小林先生、名前に気を使っていただき、まことにありがとうございます。「ごさん」と名づけていただきありがとうございます。

「ごさん」と名づけていただきありがたいのですが、俺には「誤算」という小林先生のお声が聞こえるようで、「誤算」「誤算」「誤算」とうれしさのあまり唱えているうちに「誤算」が「悲惨」に変わっているのを発見し、思い切り「悲惨」と叫んでみました。

「壺をはずす」という言葉がありますが、小林先生は、俺のそっと投げた直球を見事に空振りしていませんでしょうか?

俺は<ひがな、地酒を枕に暮らさざるをえない「虫けら」から出発せんで、何が世界史か!!>と叫ぶ、「惨めな庶民感」しかもてん「虫けら」ですが、先生ほど「壺をはずし」ていませんで!!


・・・・<司馬の小説の中に、たった一人でも庶民が描かれているかい? 英雄豪傑のくだらないエピソードの連続が、嘘や真やつらつら書き綴り、書きなぐられているだけではないか!!!>
と、司馬氏の小説「坂の上の雲」についての酷評が書いてありますが、ドラアを見て、本当にそう思いましたか?
私は、秋山兄弟、正岡子規という3人の主人公は、全て庶民だと思って見ていたのです。
彼らの住んでいた家の様子がリアルに生き生きと描かれていると思っていたのですが、彼らの生活のどこが庶民離れしていると言えるでしょうか?
(こういうことを言えるのも、あのドラマのお蔭であると思うのですが・・・。)
あのドラマは、庶民が如何に日本と言う国の発展に貢献することができたか?というものだと、私は思います。
ところで私は山本周五郎も好きで、この正月に田村正和主演の「樅の木は残った」を見て、これも素晴らしいドラマだと思いました。しかしあれは家老の話であって、庶民の話ではありません。
だからと言って、ごさんは、あのドラマはけしからん、とけなすのでしょうか?・・・・


 俺は、ドラマ「樅の木は残った」は残ったはみていないので、「庶民の話ではない」といわれれば、はいそうですかとしかいいようがないが、山本周五郎と俺が言ったら「樅の木」と返ってきて、「家老の話」だという反応には、ちょっとどころか、俺があの文章で、書いたことを全く理解していないか、したくないという意思表示にしかとれん。

 それよりも、何よりも「私は、秋山兄弟、正岡子規という3人の主人公は、全て庶民だと思って見ていたのです」といわれたひにゃ、あいた口がふさがらんどころか、あごがはずれ、救急車を呼ぼうかと思ったほどだ。

 やさしい「ごきぶりは」あのスローボールの最後に、「俊作あんちゃん!!」という「おしん」の叫び声をわざわざ入れておいたのに。

これを、俺は、小林先生は「壺をはずしている」というのだ!!

 小林先生は、庶民の一等代表の「おしん」について、先ずお書きになるべきで、秋山兄弟、正岡子規はすべて「庶民」だという「強弁」を書いてはいけないのです。

更に言うならば、「ごきぶり」が書いた<秋葉原の「加藤君」>について、一言でもいいからコメントが欲しかった。

更に言うならば、司馬遼太郎さんと山本周五郎を「立身出世」と「手仕事」として、わかりやすく書いた俺の気持ち< ひがな、地酒を枕に暮らさざるをえない「虫けら」>の気持ちを知って欲しかった!!

 それを、「私は、秋山兄弟、正岡子規という3人の主人公は、全て庶民だと思って見ていたのです」というのですから、もう「ごきぶりは」お手上げです!
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反省すべき戦争の始まり   小林哲夫 : 2010/03/12(Fri) 17:29 No.172
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くま 毎年12月になると、あの戦争についての反省が繰り返されます。
真珠湾奇襲の成功や、御前会議の開戦決議の様子がさまざまな形で、放送されます。
田原総一郎氏著「日本はなぜ負ける戦争をしたのか?」の問題提起が毎年繰り返されます。

さてこの時に反省の対象になっている戦争とはどの戦争でしょうか?

言うまでも無く真珠湾奇襲で始まった、日米戦争のことです。

この戦争を日本人は大いに反省している様子は、田原氏の著作の題名でも確認できます。

日本人は敗戦後、東京裁判を歓迎して、その判決を支持し、日本は侵略戦争を行ったと認めています。

しかしその反省の大部分が日米戦争のことで、満州事変を思い浮かべる人は少ないのが現実です。

日清日露まで想像できる日本人は極めて少数です。

つまり、日本人は負けた戦争をしたことを反省しているにすぎません。

だから飢え死にした兵士の惨めさ、原爆の悲惨さ、満州での苦労などなど、全て被害者としての戦争批判に過ぎません。

司馬史観というものもこの構図に他なりません。

日米戦争は間違った戦争だったが、日清日露は正義の戦争だった、という史観は、負けた戦争は間違った戦争で、勝った戦争は正しかった、と言っているに過ぎません。

司馬史観批判と言うことは、この構図を批判することに他なりません。

間違っていたのは日米戦争だけではない。
負ける戦争をしたから、間違っていたのではない。
侵略戦争としての日清日露戦争から、反省する、と言う思想です。

今までの戦争反対の思想を根本的に疑ってかかる必要がある、と言うことです。
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庶民について   小林哲夫 : 2010/03/12(Fri) 10:17 No.171
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くま 庶民派を自認する人が
< ひがな、地酒を枕に暮らさざるをえない「虫けら」から出発せんで、何が世界史か!!>
と書いていますが、この庶民観は惨め過ぎます。
これでは庶民とはアル中の虫けらのことのように聞こえます。
アル中の人が、司馬史観を批判して、戦争の無い日本を構想することなど出来るはずがありません。

私は、「坂の上の雲」を愛読する何百万人の国民こそ「庶民そのものだ」と考えるべきだと思います。

司馬氏が書いた明治時代の庶民が、日本が西洋から植民地にされないために、中国と戦争をしなければ成らないと考えたのでした。
だから明治の庶民は、日清戦争勝利に沸きあがり、バルチック艦隊殲滅に有頂天になったのでした。

こういう明治の時代の空気に、現代の庶民も大いに同感しているところに、司馬小説の人気の理由があります。

日本経済の右肩上がりの空気があったことが、人気の理由だ、という風にも言われていますが、その意味を考えて見ますと、司馬史観と日本経済の発展とは、密接な関係がある、と言うことです。

日本の庶民は、明治時代も今も、日本の発展に胸を膨らませたのであって、決して惨めな自閉的気分に陥っているのではありません。

庶民は景気が良くなることを求める、その心は大変好戦的なものだ、ということを認識する必要があります。

つまり現代日本の庶民が、「坂の上の雲」を愛するのは、日本経済の元気な発展を願っているということだ、と認識する必要があります。

こういう認識が出来るようになるためには、司馬氏を「くだらん!」などといって、切り捨ててはいけません。

ここに日本の庶民の心がこもっている、と読むべきだと考えます。
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アジア共同体をつくるために   ご老体 : 2010/03/11(Thu) 21:39 No.170  HomePage
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うし 単独表示 昨日、3月10日、名古屋高裁金沢支部で「七尾強制連行訴訟」の控訴審判決がありました。

「強制連行、強制労働の事実を認めたものの、一昨年の金沢地裁判決と同様、原告の訴えを退ける不当な判決が言い渡されました。

 「甚だしく人倫にもとる行為」とするものの、2007年4月、最高裁が「1972年の日中共同声明により、中国人個人は日本に対し戦争被害について裁判上、賠償を請求できなくなった」との判断がふたたび示されました。


 また、それに先立つ3月8日にも、名古屋高裁金沢支部で、第2次不二越訴訟判決が、国と機械メーカー不二越の責任を認めたものの、個人の請求権を認めていない日韓請求権協定を理由に、請求権を棄却していました。


 これらの判決は、個々の事実関係を認めながらも、日中共同声明や日韓請求権協定によって、損害賠償を認めない、請求権を認めない、という構造になっています。

 先の田村光彰さんの裁判でも、不当解雇という事実関係は認めながらも、慰謝料は認められませんでした。

一歩前進、しかし、体は一歩も前に進んでいないという状態です。

 この、事実関係は認めるが、補償、慰謝料は認めないという構造がまかりとおるのはどうしてでしょうか。

 多分、「金を支払う」ことと「体面が潰される」事が、同次元の関係であり、とりもなおさず、この国の最高の価値は、「お金」なんだということだと宣言しているのだと思われます。
 
 共同声明や協定は、その方便としての役割しか与えられていない。理性によって選択可能な判例の上位に「金」と「対面」があることがこの国の今のありようのようです。選択可能な判例が無数にあっても、それを選び取れないようです。

 さて、そこで、思い出すのは、最近の「密約」をめぐる論議のありようであり、沖縄の米軍の移転をめぐる論議です。

 密約問題の本質は、「国益を守るためには、自国民や他の国に対して外交交渉のすべてを明らかにできない」という論理の展開にあります。何かを守るために、許される事態が存在するという論理のありかたです。序列の下位にあるものがその上位のものを存在させるために「我慢」する、それが、秩序維持のための知恵である、という論理です。

 国民あるいは市民という主体が、国あるいは官僚組織という機関の維持のための道具にされている。別の言葉で言えば
支配される、また支配するということが絶対的なものであるという認識の現れです。民主主義という言葉を使いながらも、それに拠らない力のあり方を認め、かつ、それこそが、共同体のあり方の基本であるという認識であす。エリート官僚が指導する国家や共同体が絶対優位な存在であることの宣言です。

 米軍、あるいは、アメリカという国家によってこの国を支配のしてもらうことが、最上位の価値であるという宣言です。

 そのような価値観から沖縄は今も支配されています。

 一刻も早くそのような状態から脱却したいものです。

 アジア共同体をつくるために!

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国民作家としての司馬遼太郎   小林哲夫 : 2010/03/11(Thu) 12:20 No.169
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くま 私は司馬遼太郎を国民作家と呼んでいいと思っていて、そのことを尊敬もしています。

司馬氏の本が何百万冊も売れていると言う、「量」の問題を軽視するのはとんでもないことだと思います。

こんなにも多くの普通の日本人が愛読して、尊敬していると言う事実を、軽視する人は庶民感覚から、よほど外れています。

これほど愛読されている司馬氏の小説を「くだらん」の一言で、切り捨てることが出来る人はいったいどういう神経の持ち主なのでしょうか?

司馬氏の小説が日本国民から、ものすごく愛読されていることに、眼をつぶってはいけません。

司馬史観を批判する意味もそこにあるからです。

「日清日露までの日本は正しかった」という史観は、確実に現代の日本の庶民に支持されていて、だから莫大な本が買われているのです。

本の売り上げ数を、単なる数字としか見れないようでは、庶民を知っているとはいえません。

日本国民にかくも絶大に支持されている史観だからこそ、その史観の批判をしっかりしなければいけないのです。

「司馬史観は侵略思想だから下らん!」と、一言で否定して、溜飲を下げて自己満足に浸っていてはいけません。

そんなあなたは、日本では確実に少数派で、世の中の人から、変わり者と軽蔑される存在だ、ということを自覚しなければならないのが、本来の位置づけです。

司馬史観が莫大な国民的支持があるからこそ、日本の今後の軍国主義化が心配になるのではないでしょうか?

司馬史観は下らん、と言っていて、それで通るのなら、何も懸命に批判する必要は無いのです。

司馬史観を支持する人の多さ、その「量」に、恐れを感じる人が、今必要なのです。
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批判・酷評大歓迎です   小林哲夫 : 2010/03/11(Thu) 07:10 No.168
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くま <「馬鹿なインテリ」は小林先生にかかる言葉です。>
ということとは知りませんでした??
いずれにしても批判は、大歓迎です。
非常にまともな批判を頂いて、有益な議論ができそうで、期待しています。
よろしくお願いいたします。

ところで議論に入る前に、ハンドルネームについてお願いがあります。

私はもう若くなくて、ネット用語にどうもなれることができません。
「ごきぶりほいほいさん こんにちは」とは、どうしてもいえないのです。
なんだかふざけているようで、まじめな議論ができないのです。

それで『姓は「ゴキブリ」名を「ホイホイ」さん』と考えて、「ごきぶりさん」と呼ぼうかと思ったのですが、これではなんだか失礼な気もします。
何かもう少し呼びやすいハンドルネームにしてもらえないでしょうか?

とお願いするのも、あつかましい気もするので、とりあえず「ごさん」と呼ばせてもらえないでしょうか?

ということで本論に入らせてもらいます。

ところで、ごさんは、問題の年末のTVドラマは見ましたか?
私はあのドラマもなかなか面白く、有益なものだ、と思っているのです。

<司馬の小説の中に、たった一人でも庶民が描かれているかい? 英雄豪傑のくだらないエピソードの連続が、嘘や真やつらつら書き綴り、書きなぐられているだけではないか!!!>
と、司馬氏の小説「坂の上の雲」についての酷評が書いてありますが、ドラアを見て、本当にそう思いましたか?

私は、秋山兄弟、正岡子規という3人の主人公は、全て庶民だと思って見ていたのです。
彼らの住んでいた家の様子がリアルに生き生きと描かれていると思っていたのですが、彼らの生活のどこが庶民離れしていると言えるでしょうか?

(こういうことを言えるのも、あのドラマのお蔭であると思うのですが・・・。)

あのドラマは、庶民が如何に日本と言う国の発展に貢献することができたか?というものだと、私は思います。

ところで私は山本周五郎も好きで、この正月に田村正和主演の「樅の木は残った」を見て、これも素晴らしいドラマだと思いました。

しかしあれは家老の話であって、庶民の話ではありません。
だからと言って、ごさんは、あのドラマはけしからん、とけなすのでしょうか?

ごさんの酷評は、なんだかとってつけたもののように思われました。

色眼鏡で見ていませんか?
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小林先生!ごめんなさい?   ごきぶりほいほい : 2010/03/11(Thu) 03:12 No.167
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ぶた すみません。本当に、馬鹿という言葉を使ってはいけませんね。反省しております。

ただ、<司馬氏のことを「馬鹿なインテリの真骨頂」などと簡単に切り捨ててはいけません>と小林先生はおしゃられますが(小林さんの文章は、あまりできのよくない生徒に諭すように書かれているので、先生と呼ばせていただきます)俺の文では、「馬鹿なインテリ」は小林先生にかかる言葉です。司馬さんを馬鹿なインテリとは言っておりません。

先生の文章は、量が質に転化するという、昔懐かしい論理に満ち溢れていませんか。

   <何しろ国民作家といわれて、圧倒的に人気のある作家なのです。

司馬氏の本全部を合計すれば、何百万部売れているかわからないような、すごい作家なのです>


「読売新聞の発行部数1.000万部 朝日新聞800万部 毎日新聞400万部。従って読売新聞は毎日新聞より2倍もすごい新聞なのです」ということ? 

 俺の酒の「志太泉」の酒よりあの「大関」の酒の方が、何倍も何倍もすごい酒なの?


本質的な問題は、<司馬さんの「何百万部売れているかわからないような」本>の背景を抑えておくことだ。それを抜きにしては、量の問題と質の問題(すごい作家に質の問題を持ち込むのは失礼だとは思いますが)を「仕分け」できないだろう。

 司馬が読まれていた時代は、とりもなおさず、「日本国」が右肩上がりの成長を続け、誰も彼もが、自分の中に「豊かさを」実感していた時であった。その高揚した気分が、「坂の上の雲」の主人公たちに同化したのだろう。だから、部数は「すごさと」とは関係なくあったのだ。

 そして、その行き着いた先が「現在」だ。

 今、秋葉原の「加藤君」が輩出する時代、それでも「司馬氏はすごい」と小林先生はいえますかな?いえる先生は「すごい」!

 あの加藤君に、「立身出世」の夢でなく、「手仕事」の夢を与えることができていたなら、司馬遼太郎の世界でなく、山本周五郎の世界を示すことができていたなら、そう思うのですが。・・・


・・・・ <私自身は護憲派で、平和が一番重要だと考えるものですが、そのために行う我々の平和運動は、多くの日本人と話し合って、行うものだと思っています。
平和は国民の話し合いによって実現すべきだと思っています>・・・・・


俺は、平和を求める!! しかし「話し合いによって実現すべき」とは思わん。

 それは、俺たちが、どんな社会を望むかを「徹底して議論することだ」と思う。どんな社会にしたら、地面に這い蹲り、落ちている米の一粒をそっと懐にしまいこまねばならぬ庶民の夢が生き生きと輝くのかを、人の憐れを実現できるのかを考え抜くことだ。

小林先生!
 俺は、馬鹿を使う俺の品性のなさを指摘されるまえに、司馬遼太郎と山本周五郎を書かざるを得なかった俺の気持ちについて、一言欲しかった!!!

 ひがな、地酒を枕に暮らさざるをえない「虫けら」から出発せんで、何が世界史か!!


 <その明治人の心情を生き生きと描くことが、現代の日本人に喜んで受け入れられることが司馬氏には解っていました。
現代人の心情に訴える小説を書き上げた司馬氏の才能は素晴らしいと思います> 


 ふん! おしんを書いた橋田 壽賀子のほうが何ぼか「国民作家様}だ!!


俊作:中村雅俊……最初の奉公先から逃げ出したおしんを山中で助けた脱走兵。一冬を共に過ごす。おしんに読み書きや算数、ハーモニカ、与謝野晶子の「君死にたまふことなかれ」を教え、戦争の愚かさや命の尊さを説く。その後おしんの目の前で憲兵に射殺されてしまう。

 俊作あんちゃん!!俊作あんちゃん!!
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人を馬鹿!と言ってはいけない   小林哲夫 : 2010/03/10(Wed) 10:08 No.166
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くま 司馬氏のことを「馬鹿なインテリの真骨頂」などと簡単に切り捨ててはいけません。

何しろ国民作家といわれて、圧倒的に人気のある作家なのです。

司馬氏の本全部を合計すれば、何百万部売れているかわからないような、すごい作家なのです。

それも右翼作家として、軍国主義を煽るような作家ではなくて、どちらかと言えば左翼的で、良心的作家とされている人です。

15年戦争については、全面的に日本の間違いであることを表明しており、軍国主義批判も盛んに行った作家です。

「坂の上の雲」については、少々反省していて、映像化を禁止していた、という良心的なところも有った作家です。


こういう人を「馬鹿!」と言う人は、彼を尊敬し、その著作を愛読している人々全体を馬鹿だ!と切り捨てていることになります。

ある作家の一部の史観を取り出して、それが間違っていると思ったからといって、作家全体を馬鹿と言ったり、それを愛読する人を馬鹿と言ったりしてはいけません。

それは殆どの日本人を馬鹿と言うことになるからです。

私自身は護憲派で、平和が一番重要だと考えるものですが、そのために行う我々の平和運動は、多くの日本人と話し合って、行うものだと思っています。
平和は国民の話し合いによって実現すべきだと思っています。

そういう説得の対象である多くの日本人を「馬鹿だ!」と言ってしまっては、いけません。
そんなことをすれば、その人たちを切り捨てることになって、話し合いの場をもてなくなります。

平和を願う我々は、普通の多くの日本人と話し合って、一緒に平和な日本を作るのが目的ではないでしょうか?

日清日露戦争までは正しかった、と信じていて、司馬氏の小説を愛読している多くの日本人に、その史観は間違っている、と話しかけて、間違いに気がついてもらうためには、決して「馬鹿!」などといってはいけません。
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もう、我慢ができん!!小林さん   ごきぶりほいほい : 2010/03/10(Wed) 06:19 No.165
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ぶた 小林哲夫さん

司馬遼太郎が素晴らしい? 馬鹿も休み休み言え!「つまり司馬史観は、日本国民の史観といえます」おいおい日清日露戦争を侵略戦争といいながら、それを賛美する司馬を素晴らしい国民作家だって!

司馬の小説の中に、たった一人でも庶民が描かれているかい? 英雄豪傑のくだらないエピソードの連続が、嘘や真やつらつら書き綴り、書きなぐられているだけではないか!!!

江戸の庶民や、明治の庶民が、日々考えたことの一片でも司馬は見せてくれたかい!!!

山本周五郎という作家がいる。彼が描く庶民と司馬の英雄豪傑、そこの違いをわからず、日本の歴史云々というのは、馬鹿なインテリの真骨頂ではないかい!!


・・・・つまり司馬史観は、日本国民の史観といえます。

だからこの司馬史観を批判するということは、現代日本人の史観の批判に他なりません。

司馬氏が描いた史観は、司馬氏が個人的に間違ったのだ、というように矮小化して批判してはいけないのであって、日本国民全体に対する批判の方向に、役立てねばなりません。

司馬氏が間違ったことを書いているから司馬史観を批判すると言うのではなくて、まず司馬氏の小説が描いた明治の雰囲気の描写のリアルさ、面白さに感服して読むべきと思います。

かくも国民的支持を得ていると言う、その人気の大きさに注目して、その大きな力に、微力な我々が意義を申し立てる、という心構えです。

くれぐれも、私の司馬史観批判を、司馬氏個人を批判しているものと誤解しないようにお願いします。

この小説をくだらん小説だと切り捨てる人がいたら、それこそ大きな間違いだ、と言いたいのです。

司馬氏の小説は、我々が真剣に立ち向かう価値の有る、芸術作品だと思います・・・・



もう、こんな馬鹿な、分裂症の駄文に付き合いきれ!!

くるま座の管理人さん!もうこんなんを掲示板にのせんでください。

 掲示板だから何でもありというのは、いかがなものかと思います
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司馬史観は国民的史観     小林哲夫 : 2010/03/09(Tue) 18:09 No.164
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くま ここまで「日清・日露戦争までの日本は素晴らしかったという、いわゆる司馬史観」を批判してきました。
「15年戦争を侵略戦争として反省するのならば、その始まりは日清戦争にある」と考えなければならない、と書いてきました。

しかしながらこういう批判的な考えを持つ人は、極めて少数で、大部分の日本人は、「坂の上の雲」に深く同感して、読んでいます。

明治の人々は、西洋の植民地にならないためには、日本も植民地を持たなければならない、と考えたようです。
西洋に侵略されないために、アジアを侵略しなければならないと考えたようです。

そして現代日本人の多くの人が、それは正しかった。

明治の人のそういう努力のお蔭で現在の日本がある、と信じています。

明治の人々が、熱狂的な気持ちをもって、日清・日露戦争を戦った、そういう戦争に心底尊敬と感謝の念を持っているのが実情です。

こういう現代日本人の心情があるからこそ、司馬小説は圧倒的支持を得て、国民作家といわれています。

日清・日露を全身全霊を挙げて戦い、その戦争に命を賭けた時代の雰囲気を生き生きと描いた小説として、司馬小説は素晴らしいものがあります。

つまり当時の日本国民が持っていた世界観(史観)を見事に描いた小説と言えます。

その明治人の心情を生き生きと描くことが、現代の日本人に喜んで受け入れられることが司馬氏には解っていました。

現代人の心情に訴える小説を書き上げた司馬氏の才能は素晴らしいと思います。


ところで、明治時代の日本国民の世界観を、現代の日本国民が圧倒的に肯定している現状を見れば、この世界観は明治以来一貫して続いてきた、国民的史観だといえます。

こういう意味で、司馬史観は、明治の国民の史観を描きつつ、現代の国民的史観を作り出している、と言えます。

司馬史観といわれる史観は、司馬氏個人の史観なのではなくて、明治人の史観であり、それが同時に現代日本国民の史観になっているということです。

つまり司馬史観は、日本国民の史観といえます。

だからこの司馬史観を批判するということは、現代日本人の史観の批判に他なりません。

司馬氏が描いた史観は、司馬氏が個人的に間違ったのだ、というように矮小化して批判してはいけないのであって、日本国民全体に対する批判の方向に、役立てねばなりません。

司馬氏が間違ったことを書いているから司馬史観を批判すると言うのではなくて、まず司馬氏の小説が描いた明治の雰囲気の描写のリアルさ、面白さに感服して読むべきと思います。

かくも国民的支持を得ていると言う、その人気の大きさに注目して、その大きな力に、微力な我々が意義を申し立てる、という心構えです。

くれぐれも、私の司馬史観批判を、司馬氏個人を批判しているものと誤解しないようにお願いします。

この小説をくだらん小説だと切り捨てる人がいたら、それこそ大きな間違いだ、と言いたいのです。

司馬氏の小説は、我々が真剣に立ち向かう価値の有る、芸術作品だと思います。
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司馬史観批判の次のステップ   小林哲夫 : 2010/03/08(Mon) 18:29 No.163
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くま ここまでのところ、「日清日露戦争までの日本は正しかった」という司馬史観は間違いで、「日清日露戦争が侵略戦争であったのは、その後の15年戦争と変わらない」ということを説明してきました。

日本は明治の始めから、太平洋戦争の終わりまで、一貫して侵略国家であったことを再確認しなければ、本当の平和思想は生まれないと考えます。

左翼・護憲派の人々の中に、この私の考えを受け入れることが出来ない人が沢山いることを知っています。

15年戦争が悪い戦争だったことは認めるけれど、日清日露は正しい戦争だった、という左翼の人が多いのが現実です。

日本が本当の平和思想の国家になるためには、こういう左翼の人々に反省してもらわねばなりません。

なぜならば、もう一度日清日露のような戦争の可能性が出てきたときに、その曖昧な平和思想の人々が、戦争防止のためには、障害になるからです。

こういう人々は、例えば北朝鮮の核が注目されると、途端にナショナリストになるに違いないからです。

つまり日本に現実に存在する平和思想は、中途半端なもので、今後の日本の平和維持のためには、むしろ害になると言うことです。

「護憲」という一つの言葉で、団結しているように見える九条の会というものも、現実を見れば、こういう相容れない人々の野合としか言えません。



九条の会の人々の戦争反対の気持ちに嘘はない、ということは信じられますが、もっと思想的に一貫したものにならないと、危ういと思います。


「司馬史観批判の次のステップ」は、この批判の思想を、護憲派の仲間に説得する運動だと考えますが、如何でしょうか?
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司馬小説賞賛   小林哲夫 : 2010/03/07(Sun) 08:08 No.162
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くま 今回から方向転回します。奇妙な転回ですので、注意して読んでください。

いままで司馬史観をさんざん批判してきたのですが、実は私は「坂の上の雲」は大変素晴らしい小説だと思っています。
私自身あの長い小説を大変面白く読みました。
何よりも日清日露戦争に至るあの当時の雰囲気を生き生きと見事に描いています。

そしてもっとすごいのは、それを現代日本人が、万感の思いを込めて読み込み、そして感動している、という事実です。
この現代日本の国民的人気を考えれば、まさに国民作家と言って良いと思います。

ついでに言えば、私は「竜馬がゆく」も大好きで、私の幕末の歴史知識の大部分はこの小説によって作り上げたものです。
もうひとつ加えますと、「街道を行く」シリーズも半分くらいは読んでいます。
これは司馬氏の知性と良識が信頼できて、旅行の前には読んでから出かけることにしています。

要するに私は「司馬遼太郎ファン」だと言ってもいいと思っています。

「坂の上の雲」という小説が素晴らしいのは、この当時の日本人が日清日露戦争をどういう気持ちで戦ったか?と言う真実を、生き生きと、見事に描いているからなのです。

当時の日本人は、これこそ日本が生き抜くための唯一の道だと信じて、文字通り命を賭けて生きぬいたことが、解る小説になっています。

そしてその懸命に生きた明治時代の日本人に、今の日本人は誇りをもっていて、そのことをこの小説によって確認する、ということが司馬小説に今人気がある理由なのです。

そういう現代日本人の気持ちを見事に捕まえた小説家が、司馬遼太郎という人だと思います。

明治時代の日本人が、真剣に戦争に突入したことを生き生きと描き、そういう日本人を誇りに思っている今の日本人の気持ちを捉えた小説、と言えます。

以上が司馬小説の素晴らしさを認めた考えです。

さて、私は今日清日露戦争は、間違った戦争だった、と思っていて、そのことを延々と書いてきましたが、それがこの小説に書いてないからと言って、歴史家ではない司馬氏という人間を非難するのは筋違いだと思います。

また日本のためにと一生懸命に生きた明治の日本人を非難するのも間違いだと思っています。

そんなに簡単に批判してはいけないことだと思っています。

そんな批判をしたら、「自分を、それほど偉い人間だとうぬぼれているのか?」と逆に批判されても、仕方が無いようなことです。

しかし現代に生きていると言うことは、結果を知ってしまった者の特権があるのです。

例えば当時の日本人が、戦おうとしている当のロシア政府が、今どう考えているか?ということを知るのは不可能なことです。

しかし今のわれわれはロシア政府が実はどう考えていたか?朝鮮を領有したいと言う気持ちは無かった、ということを知ることが出来るようになったのです。

現代に生まれた者の特権によって、結果論として歴史の誤りを指摘することが出来るようになっただけのことなのです。

歴史の結果を知ったからといって、特別偉いわけではありません。
だからその特権を振り回して、懸命に生きた歴史の当事者を非難してはいけません。

しかし歴史の過ちを知った以上、その間違いを間違いと認めることが必要です。
その間違いを反省し、過ちを繰り返さないように警戒することが歴史学の役割だと私は思っています。

結論

日清日露戦争を懸命に戦った日本人を生き生きと描き、時代の雰囲気を的確に描写して、現代日本人の気持ちを捉える小説に作り上げた。
ここまでが小説家として、素晴らしいところです。

問題はむしろ読者の方にあります。

日清日露戦争に突入したその時代の雰囲気を無批判に肯定して、日本の野蛮な過去を反省できていない、読者の方に問題があるということです。

つまり司馬史観批判は、司馬氏やその小説を批判したものではなくて、日清日露戦争を反省していない現代日本人を批判しようとするものでした。
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日清戦争は中国と朝鮮に対する侵略戦争    小林哲夫 : 2010/03/05(Fri) 10:48 No.161
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くま 日清戦争は侵略戦争と呼ぶべきだ、と提案します。

日清戦争は、朝鮮と中国の宗属関係を解消させることが目的でしたから、中国に対する侵略でした。
同盟関係を破棄せよ!という目的で戦争を仕掛けた戦争が、侵略でなくて何でありましょうか?
中国側は宗属関係を維持したかったために日本と戦ったのですから、これを中国側から見れば自衛戦争でした。

さらに日清戦争は朝鮮に対しての侵略でもありました。

日清戦争のきっかけは、朝鮮で起きた反日民族闘争(東学党の乱)を鎮圧するための日本軍派遣でした。

朝鮮の領内に、軍隊を派遣して、朝鮮の農民を殺害することが、侵略でなくて何でしょうか?

そして朝鮮国内で、中国からの派遣軍と戦争になるのですが、朝鮮の国内で、戦争を行うことは、明白に朝鮮に対する侵略なのです。



この東学党の反日民族闘争が、国際的に問題になることを恐れた日本政府は、これをすみやかに皆殺しにせよ!という命令を発しました。

川上操六参謀次長が1894年10月27日、朝鮮にいる日本軍に
「東学党に対する処置は厳列なるを要す。向後悉く殺戮すべし・・・」
と電報を打ったことです。

そして広島大本営で、総理大臣も入った会議で「討伐作戦計画」という皆殺し作戦計画を作りました。
この計画に沿って、朝鮮で皆殺し作戦が実行されて、その虐殺によって闘争は鎮圧されました。
この作戦による朝鮮農民の死者は3万人以上と言われています。
(井上勝生著「日本軍による最初の東アジア民衆虐殺」より)

日本軍は朝鮮農民をこのように虐殺したのですが、こんなことをしておいて、未だに「朝鮮の独立を助けた」という日本人がいます。

現在の日本人は、このような事実を知らず、日清戦争は朝鮮の独立のために中国と戦った戦争だ、と漠然と思っている人が多いので、「侵略戦争であった」ということの再確認のために書きました。
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