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小林先生!ごめんなさい?   ごきぶりほいほい : 2010/03/11(Thu) 03:12 No.167
  投稿ランキング:2回/−
ぶた すみません。本当に、馬鹿という言葉を使ってはいけませんね。反省しております。

ただ、<司馬氏のことを「馬鹿なインテリの真骨頂」などと簡単に切り捨ててはいけません>と小林先生はおしゃられますが(小林さんの文章は、あまりできのよくない生徒に諭すように書かれているので、先生と呼ばせていただきます)俺の文では、「馬鹿なインテリ」は小林先生にかかる言葉です。司馬さんを馬鹿なインテリとは言っておりません。

先生の文章は、量が質に転化するという、昔懐かしい論理に満ち溢れていませんか。

   <何しろ国民作家といわれて、圧倒的に人気のある作家なのです。

司馬氏の本全部を合計すれば、何百万部売れているかわからないような、すごい作家なのです>


「読売新聞の発行部数1.000万部 朝日新聞800万部 毎日新聞400万部。従って読売新聞は毎日新聞より2倍もすごい新聞なのです」ということ? 

 俺の酒の「志太泉」の酒よりあの「大関」の酒の方が、何倍も何倍もすごい酒なの?


本質的な問題は、<司馬さんの「何百万部売れているかわからないような」本>の背景を抑えておくことだ。それを抜きにしては、量の問題と質の問題(すごい作家に質の問題を持ち込むのは失礼だとは思いますが)を「仕分け」できないだろう。

 司馬が読まれていた時代は、とりもなおさず、「日本国」が右肩上がりの成長を続け、誰も彼もが、自分の中に「豊かさを」実感していた時であった。その高揚した気分が、「坂の上の雲」の主人公たちに同化したのだろう。だから、部数は「すごさと」とは関係なくあったのだ。

 そして、その行き着いた先が「現在」だ。

 今、秋葉原の「加藤君」が輩出する時代、それでも「司馬氏はすごい」と小林先生はいえますかな?いえる先生は「すごい」!

 あの加藤君に、「立身出世」の夢でなく、「手仕事」の夢を与えることができていたなら、司馬遼太郎の世界でなく、山本周五郎の世界を示すことができていたなら、そう思うのですが。・・・


・・・・ <私自身は護憲派で、平和が一番重要だと考えるものですが、そのために行う我々の平和運動は、多くの日本人と話し合って、行うものだと思っています。
平和は国民の話し合いによって実現すべきだと思っています>・・・・・


俺は、平和を求める!! しかし「話し合いによって実現すべき」とは思わん。

 それは、俺たちが、どんな社会を望むかを「徹底して議論することだ」と思う。どんな社会にしたら、地面に這い蹲り、落ちている米の一粒をそっと懐にしまいこまねばならぬ庶民の夢が生き生きと輝くのかを、人の憐れを実現できるのかを考え抜くことだ。

小林先生!
 俺は、馬鹿を使う俺の品性のなさを指摘されるまえに、司馬遼太郎と山本周五郎を書かざるを得なかった俺の気持ちについて、一言欲しかった!!!

 ひがな、地酒を枕に暮らさざるをえない「虫けら」から出発せんで、何が世界史か!!


 <その明治人の心情を生き生きと描くことが、現代の日本人に喜んで受け入れられることが司馬氏には解っていました。
現代人の心情に訴える小説を書き上げた司馬氏の才能は素晴らしいと思います> 


 ふん! おしんを書いた橋田 壽賀子のほうが何ぼか「国民作家様}だ!!


俊作:中村雅俊……最初の奉公先から逃げ出したおしんを山中で助けた脱走兵。一冬を共に過ごす。おしんに読み書きや算数、ハーモニカ、与謝野晶子の「君死にたまふことなかれ」を教え、戦争の愚かさや命の尊さを説く。その後おしんの目の前で憲兵に射殺されてしまう。

 俊作あんちゃん!!俊作あんちゃん!!
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批判・酷評大歓迎です   小林哲夫 : 2010/03/11(Thu) 07:10 No.168
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くま <「馬鹿なインテリ」は小林先生にかかる言葉です。>
ということとは知りませんでした??
いずれにしても批判は、大歓迎です。
非常にまともな批判を頂いて、有益な議論ができそうで、期待しています。
よろしくお願いいたします。

ところで議論に入る前に、ハンドルネームについてお願いがあります。

私はもう若くなくて、ネット用語にどうもなれることができません。
「ごきぶりほいほいさん こんにちは」とは、どうしてもいえないのです。
なんだかふざけているようで、まじめな議論ができないのです。

それで『姓は「ゴキブリ」名を「ホイホイ」さん』と考えて、「ごきぶりさん」と呼ぼうかと思ったのですが、これではなんだか失礼な気もします。
何かもう少し呼びやすいハンドルネームにしてもらえないでしょうか?

とお願いするのも、あつかましい気もするので、とりあえず「ごさん」と呼ばせてもらえないでしょうか?

ということで本論に入らせてもらいます。

ところで、ごさんは、問題の年末のTVドラマは見ましたか?
私はあのドラマもなかなか面白く、有益なものだ、と思っているのです。

<司馬の小説の中に、たった一人でも庶民が描かれているかい? 英雄豪傑のくだらないエピソードの連続が、嘘や真やつらつら書き綴り、書きなぐられているだけではないか!!!>
と、司馬氏の小説「坂の上の雲」についての酷評が書いてありますが、ドラアを見て、本当にそう思いましたか?

私は、秋山兄弟、正岡子規という3人の主人公は、全て庶民だと思って見ていたのです。
彼らの住んでいた家の様子がリアルに生き生きと描かれていると思っていたのですが、彼らの生活のどこが庶民離れしていると言えるでしょうか?

(こういうことを言えるのも、あのドラマのお蔭であると思うのですが・・・。)

あのドラマは、庶民が如何に日本と言う国の発展に貢献することができたか?というものだと、私は思います。

ところで私は山本周五郎も好きで、この正月に田村正和主演の「樅の木は残った」を見て、これも素晴らしいドラマだと思いました。

しかしあれは家老の話であって、庶民の話ではありません。
だからと言って、ごさんは、あのドラマはけしからん、とけなすのでしょうか?

ごさんの酷評は、なんだかとってつけたもののように思われました。

色眼鏡で見ていませんか?
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もう、我慢ができん!!小林さん   ごきぶりほいほい : 2010/03/10(Wed) 06:19 No.165
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ぶた 小林哲夫さん

司馬遼太郎が素晴らしい? 馬鹿も休み休み言え!「つまり司馬史観は、日本国民の史観といえます」おいおい日清日露戦争を侵略戦争といいながら、それを賛美する司馬を素晴らしい国民作家だって!

司馬の小説の中に、たった一人でも庶民が描かれているかい? 英雄豪傑のくだらないエピソードの連続が、嘘や真やつらつら書き綴り、書きなぐられているだけではないか!!!

江戸の庶民や、明治の庶民が、日々考えたことの一片でも司馬は見せてくれたかい!!!

山本周五郎という作家がいる。彼が描く庶民と司馬の英雄豪傑、そこの違いをわからず、日本の歴史云々というのは、馬鹿なインテリの真骨頂ではないかい!!


・・・・つまり司馬史観は、日本国民の史観といえます。

だからこの司馬史観を批判するということは、現代日本人の史観の批判に他なりません。

司馬氏が描いた史観は、司馬氏が個人的に間違ったのだ、というように矮小化して批判してはいけないのであって、日本国民全体に対する批判の方向に、役立てねばなりません。

司馬氏が間違ったことを書いているから司馬史観を批判すると言うのではなくて、まず司馬氏の小説が描いた明治の雰囲気の描写のリアルさ、面白さに感服して読むべきと思います。

かくも国民的支持を得ていると言う、その人気の大きさに注目して、その大きな力に、微力な我々が意義を申し立てる、という心構えです。

くれぐれも、私の司馬史観批判を、司馬氏個人を批判しているものと誤解しないようにお願いします。

この小説をくだらん小説だと切り捨てる人がいたら、それこそ大きな間違いだ、と言いたいのです。

司馬氏の小説は、我々が真剣に立ち向かう価値の有る、芸術作品だと思います・・・・



もう、こんな馬鹿な、分裂症の駄文に付き合いきれ!!

くるま座の管理人さん!もうこんなんを掲示板にのせんでください。

 掲示板だから何でもありというのは、いかがなものかと思います
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人を馬鹿!と言ってはいけない   小林哲夫 : 2010/03/10(Wed) 10:08 No.166
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くま 司馬氏のことを「馬鹿なインテリの真骨頂」などと簡単に切り捨ててはいけません。

何しろ国民作家といわれて、圧倒的に人気のある作家なのです。

司馬氏の本全部を合計すれば、何百万部売れているかわからないような、すごい作家なのです。

それも右翼作家として、軍国主義を煽るような作家ではなくて、どちらかと言えば左翼的で、良心的作家とされている人です。

15年戦争については、全面的に日本の間違いであることを表明しており、軍国主義批判も盛んに行った作家です。

「坂の上の雲」については、少々反省していて、映像化を禁止していた、という良心的なところも有った作家です。


こういう人を「馬鹿!」と言う人は、彼を尊敬し、その著作を愛読している人々全体を馬鹿だ!と切り捨てていることになります。

ある作家の一部の史観を取り出して、それが間違っていると思ったからといって、作家全体を馬鹿と言ったり、それを愛読する人を馬鹿と言ったりしてはいけません。

それは殆どの日本人を馬鹿と言うことになるからです。

私自身は護憲派で、平和が一番重要だと考えるものですが、そのために行う我々の平和運動は、多くの日本人と話し合って、行うものだと思っています。
平和は国民の話し合いによって実現すべきだと思っています。

そういう説得の対象である多くの日本人を「馬鹿だ!」と言ってしまっては、いけません。
そんなことをすれば、その人たちを切り捨てることになって、話し合いの場をもてなくなります。

平和を願う我々は、普通の多くの日本人と話し合って、一緒に平和な日本を作るのが目的ではないでしょうか?

日清日露戦争までは正しかった、と信じていて、司馬氏の小説を愛読している多くの日本人に、その史観は間違っている、と話しかけて、間違いに気がついてもらうためには、決して「馬鹿!」などといってはいけません。
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司馬史観は国民的史観     小林哲夫 : 2010/03/09(Tue) 18:09 No.164
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くま ここまで「日清・日露戦争までの日本は素晴らしかったという、いわゆる司馬史観」を批判してきました。
「15年戦争を侵略戦争として反省するのならば、その始まりは日清戦争にある」と考えなければならない、と書いてきました。

しかしながらこういう批判的な考えを持つ人は、極めて少数で、大部分の日本人は、「坂の上の雲」に深く同感して、読んでいます。

明治の人々は、西洋の植民地にならないためには、日本も植民地を持たなければならない、と考えたようです。
西洋に侵略されないために、アジアを侵略しなければならないと考えたようです。

そして現代日本人の多くの人が、それは正しかった。

明治の人のそういう努力のお蔭で現在の日本がある、と信じています。

明治の人々が、熱狂的な気持ちをもって、日清・日露戦争を戦った、そういう戦争に心底尊敬と感謝の念を持っているのが実情です。

こういう現代日本人の心情があるからこそ、司馬小説は圧倒的支持を得て、国民作家といわれています。

日清・日露を全身全霊を挙げて戦い、その戦争に命を賭けた時代の雰囲気を生き生きと描いた小説として、司馬小説は素晴らしいものがあります。

つまり当時の日本国民が持っていた世界観(史観)を見事に描いた小説と言えます。

その明治人の心情を生き生きと描くことが、現代の日本人に喜んで受け入れられることが司馬氏には解っていました。

現代人の心情に訴える小説を書き上げた司馬氏の才能は素晴らしいと思います。


ところで、明治時代の日本国民の世界観を、現代の日本国民が圧倒的に肯定している現状を見れば、この世界観は明治以来一貫して続いてきた、国民的史観だといえます。

こういう意味で、司馬史観は、明治の国民の史観を描きつつ、現代の国民的史観を作り出している、と言えます。

司馬史観といわれる史観は、司馬氏個人の史観なのではなくて、明治人の史観であり、それが同時に現代日本国民の史観になっているということです。

つまり司馬史観は、日本国民の史観といえます。

だからこの司馬史観を批判するということは、現代日本人の史観の批判に他なりません。

司馬氏が描いた史観は、司馬氏が個人的に間違ったのだ、というように矮小化して批判してはいけないのであって、日本国民全体に対する批判の方向に、役立てねばなりません。

司馬氏が間違ったことを書いているから司馬史観を批判すると言うのではなくて、まず司馬氏の小説が描いた明治の雰囲気の描写のリアルさ、面白さに感服して読むべきと思います。

かくも国民的支持を得ていると言う、その人気の大きさに注目して、その大きな力に、微力な我々が意義を申し立てる、という心構えです。

くれぐれも、私の司馬史観批判を、司馬氏個人を批判しているものと誤解しないようにお願いします。

この小説をくだらん小説だと切り捨てる人がいたら、それこそ大きな間違いだ、と言いたいのです。

司馬氏の小説は、我々が真剣に立ち向かう価値の有る、芸術作品だと思います。
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司馬史観批判の次のステップ   小林哲夫 : 2010/03/08(Mon) 18:29 No.163
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くま ここまでのところ、「日清日露戦争までの日本は正しかった」という司馬史観は間違いで、「日清日露戦争が侵略戦争であったのは、その後の15年戦争と変わらない」ということを説明してきました。

日本は明治の始めから、太平洋戦争の終わりまで、一貫して侵略国家であったことを再確認しなければ、本当の平和思想は生まれないと考えます。

左翼・護憲派の人々の中に、この私の考えを受け入れることが出来ない人が沢山いることを知っています。

15年戦争が悪い戦争だったことは認めるけれど、日清日露は正しい戦争だった、という左翼の人が多いのが現実です。

日本が本当の平和思想の国家になるためには、こういう左翼の人々に反省してもらわねばなりません。

なぜならば、もう一度日清日露のような戦争の可能性が出てきたときに、その曖昧な平和思想の人々が、戦争防止のためには、障害になるからです。

こういう人々は、例えば北朝鮮の核が注目されると、途端にナショナリストになるに違いないからです。

つまり日本に現実に存在する平和思想は、中途半端なもので、今後の日本の平和維持のためには、むしろ害になると言うことです。

「護憲」という一つの言葉で、団結しているように見える九条の会というものも、現実を見れば、こういう相容れない人々の野合としか言えません。



九条の会の人々の戦争反対の気持ちに嘘はない、ということは信じられますが、もっと思想的に一貫したものにならないと、危ういと思います。


「司馬史観批判の次のステップ」は、この批判の思想を、護憲派の仲間に説得する運動だと考えますが、如何でしょうか?
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司馬小説賞賛   小林哲夫 : 2010/03/07(Sun) 08:08 No.162
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くま 今回から方向転回します。奇妙な転回ですので、注意して読んでください。

いままで司馬史観をさんざん批判してきたのですが、実は私は「坂の上の雲」は大変素晴らしい小説だと思っています。
私自身あの長い小説を大変面白く読みました。
何よりも日清日露戦争に至るあの当時の雰囲気を生き生きと見事に描いています。

そしてもっとすごいのは、それを現代日本人が、万感の思いを込めて読み込み、そして感動している、という事実です。
この現代日本の国民的人気を考えれば、まさに国民作家と言って良いと思います。

ついでに言えば、私は「竜馬がゆく」も大好きで、私の幕末の歴史知識の大部分はこの小説によって作り上げたものです。
もうひとつ加えますと、「街道を行く」シリーズも半分くらいは読んでいます。
これは司馬氏の知性と良識が信頼できて、旅行の前には読んでから出かけることにしています。

要するに私は「司馬遼太郎ファン」だと言ってもいいと思っています。

「坂の上の雲」という小説が素晴らしいのは、この当時の日本人が日清日露戦争をどういう気持ちで戦ったか?と言う真実を、生き生きと、見事に描いているからなのです。

当時の日本人は、これこそ日本が生き抜くための唯一の道だと信じて、文字通り命を賭けて生きぬいたことが、解る小説になっています。

そしてその懸命に生きた明治時代の日本人に、今の日本人は誇りをもっていて、そのことをこの小説によって確認する、ということが司馬小説に今人気がある理由なのです。

そういう現代日本人の気持ちを見事に捕まえた小説家が、司馬遼太郎という人だと思います。

明治時代の日本人が、真剣に戦争に突入したことを生き生きと描き、そういう日本人を誇りに思っている今の日本人の気持ちを捉えた小説、と言えます。

以上が司馬小説の素晴らしさを認めた考えです。

さて、私は今日清日露戦争は、間違った戦争だった、と思っていて、そのことを延々と書いてきましたが、それがこの小説に書いてないからと言って、歴史家ではない司馬氏という人間を非難するのは筋違いだと思います。

また日本のためにと一生懸命に生きた明治の日本人を非難するのも間違いだと思っています。

そんなに簡単に批判してはいけないことだと思っています。

そんな批判をしたら、「自分を、それほど偉い人間だとうぬぼれているのか?」と逆に批判されても、仕方が無いようなことです。

しかし現代に生きていると言うことは、結果を知ってしまった者の特権があるのです。

例えば当時の日本人が、戦おうとしている当のロシア政府が、今どう考えているか?ということを知るのは不可能なことです。

しかし今のわれわれはロシア政府が実はどう考えていたか?朝鮮を領有したいと言う気持ちは無かった、ということを知ることが出来るようになったのです。

現代に生まれた者の特権によって、結果論として歴史の誤りを指摘することが出来るようになっただけのことなのです。

歴史の結果を知ったからといって、特別偉いわけではありません。
だからその特権を振り回して、懸命に生きた歴史の当事者を非難してはいけません。

しかし歴史の過ちを知った以上、その間違いを間違いと認めることが必要です。
その間違いを反省し、過ちを繰り返さないように警戒することが歴史学の役割だと私は思っています。

結論

日清日露戦争を懸命に戦った日本人を生き生きと描き、時代の雰囲気を的確に描写して、現代日本人の気持ちを捉える小説に作り上げた。
ここまでが小説家として、素晴らしいところです。

問題はむしろ読者の方にあります。

日清日露戦争に突入したその時代の雰囲気を無批判に肯定して、日本の野蛮な過去を反省できていない、読者の方に問題があるということです。

つまり司馬史観批判は、司馬氏やその小説を批判したものではなくて、日清日露戦争を反省していない現代日本人を批判しようとするものでした。
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日清戦争は中国と朝鮮に対する侵略戦争    小林哲夫 : 2010/03/05(Fri) 10:48 No.161
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くま 日清戦争は侵略戦争と呼ぶべきだ、と提案します。

日清戦争は、朝鮮と中国の宗属関係を解消させることが目的でしたから、中国に対する侵略でした。
同盟関係を破棄せよ!という目的で戦争を仕掛けた戦争が、侵略でなくて何でありましょうか?
中国側は宗属関係を維持したかったために日本と戦ったのですから、これを中国側から見れば自衛戦争でした。

さらに日清戦争は朝鮮に対しての侵略でもありました。

日清戦争のきっかけは、朝鮮で起きた反日民族闘争(東学党の乱)を鎮圧するための日本軍派遣でした。

朝鮮の領内に、軍隊を派遣して、朝鮮の農民を殺害することが、侵略でなくて何でしょうか?

そして朝鮮国内で、中国からの派遣軍と戦争になるのですが、朝鮮の国内で、戦争を行うことは、明白に朝鮮に対する侵略なのです。



この東学党の反日民族闘争が、国際的に問題になることを恐れた日本政府は、これをすみやかに皆殺しにせよ!という命令を発しました。

川上操六参謀次長が1894年10月27日、朝鮮にいる日本軍に
「東学党に対する処置は厳列なるを要す。向後悉く殺戮すべし・・・」
と電報を打ったことです。

そして広島大本営で、総理大臣も入った会議で「討伐作戦計画」という皆殺し作戦計画を作りました。
この計画に沿って、朝鮮で皆殺し作戦が実行されて、その虐殺によって闘争は鎮圧されました。
この作戦による朝鮮農民の死者は3万人以上と言われています。
(井上勝生著「日本軍による最初の東アジア民衆虐殺」より)

日本軍は朝鮮農民をこのように虐殺したのですが、こんなことをしておいて、未だに「朝鮮の独立を助けた」という日本人がいます。

現在の日本人は、このような事実を知らず、日清戦争は朝鮮の独立のために中国と戦った戦争だ、と漠然と思っている人が多いので、「侵略戦争であった」ということの再確認のために書きました。
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3月の「くるま座」の行事です   「くるま座」事務局 : 2010/03/05(Fri) 06:57 No.160  HomePage
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うし 単独表示 「市民の政策研究会」の3月の行事予定を掲載します。

輪読会は新しいシリーズが始まります。海野福寿さんの「韓国併合」を読み合わせます。

 3月5日(金) 3月19日(金) 午後7時〜午後9時

 海野さんのこの本は、「韓国併合は形式的適法性有していた、つまり国際法上合法であり、日本の朝鮮支配は国際的に承認された植民地である」(P244)という見解を語っていて、韓国の学者の一部から非難を受けているそうですが、事実の認識を一つ一つ行い、そのうえで、今後のアジアのあり方を考えてみたいと思っています。


DVDの鑑賞会は、「愛の落日」です。

 3月21日 (日)午後1時30分〜午後4時

ひどい題名のようですが(グレアム・グリーン原作の政治サスペンス『おとなしいアメリカ人』を映画化)・・・半沢さんの紹介文です。
 原作は、ディエン・ビエン・フーの戦い二年前のベトナムを舞台に、植民地型帝国主義から傀儡政権型帝国主義を模索するアメリカ   
  の介入といった世界史的背景のもとに、ヨーロッパ人とアジア人のかかわりを描いた名作で、もはや現代の古典と言っていいものだ
  と思います。「愛の落日」は原作にかなり忠実な映画となっています。


「金沢ざっくばらんは」2回目です。

 3月28日(日)午後1時30分〜午後3時30分

 前回は、中村町校下の年配の方のお話でした。戦争下で小学生、中学生という多感な時を過ごした方が、見たこと、考えたことを率直な言葉で語られました。千日町界隈の日常生活が目に浮かぶようで、在りし日の石坂界隈の賑わいも、酔った若衆が用水に飛び込む様は興味深いものでした。

 今回は、戦争を正面から取り上げます。

 NHK金沢が製作した、「兵士の証言、飢餓の島 ミレー島」を45分間見た後で、それぞれが、戦争に対して、落とし前をつけるべくフリー討論をしたいと考えています。金沢の陸軍歩兵第107連隊の1000人の兵士が、飢餓線上をさまよい、700人が死んだ事実の中に「戦争」の本質を問いたいと思います。

なお、3月20日(土)には中央公園で、「ピースウォーク金沢」が行われます。午後2時〜午後4時
 

「くるま座」は有志が参加する予定です。国内にあっては、普天間の移設問題、沖縄の戦後を作り出すために、国外にあっては、アフガニスタン、イラク、ソマリア等々平和を作り出すために、旗をあげて歩きたいものです。

 なお、ソシエ・ボアチュール(くるまの会)は

3月19日(金) 3月26(金)午後2時〜午後3時30分

 「ボンボンクラフト」という名称でニットの動物をつくりながら、四方山の話をする会です。参加を待っています

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戦争すべきでなかった日露   小林哲夫 : 2010/03/04(Thu) 20:19 No.159
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くま 最近発見されたロシア側の史料によって、ロシアは日本との戦争を回避したかったことが、明らかになっています。(前述)

日本側が出した条件を全て受け入れても良いという皇帝の決断が文章として残っていたのでした。
日本側が出した条件は、いわゆる満州韓国交換案でした。
韓国を日本の支配下に置くことを切望したもので、ロシアはこれを認めたものでした。
それはロシアは朝鮮を必要としていなかったからです。
むしろ朝鮮を領有しては、面倒なことが起こると嫌ったものでした。
朝鮮を領有しても期待できる利益はほとんど無かったからです。
(不凍港の問題は解決済みでした。)

なぜこのことを強調したいか?と言えば、こういう条件は日本側もロシアと同じだ、ということを現在の日本人に考えてもらいたいからです。

日本としても、朝鮮を植民地にして、何の利益も得られなかったのです。
経済的には大赤字だったことは、周知の事実でした。

最大の損失は、朝鮮人の憎しみを買ったことです。
朝鮮人の日本人への憎しみの感情は、永遠に朝鮮人の心から消えることはないでしょう。

日本にとって、これほど大きな損失は無い、とどうして気がつかないのでしょう。

ヨーロッパでは、EUが出来て、今までの憎しみを清算して、友好関係が日々に深くなっているときに、東アジアでは、過去の清算さえできていないのは、日本人の歴史認識の欠陥のせいでは無いでしょうか?

こういう物心両面にわたる損失に、現在の日本人が、ほとんど関心が無いのは、どうしてなのでしょうか?
国際関係音痴の日本人、と言えます。

ところでロシアが朝鮮に魅力を感じなかったのに、どうして日本の方は魅力を感じてしまったのでしょうか?
朝鮮を植民地にして、どういう利益を得ようとしたのでしょうか?

そういう利益は幻想だったことが今ではわかってしまっているのに、まだ現在の日本に気がついていない人が多いのはどうしたことなのでしょうか?

左翼の護憲派の人の中にも、司馬遼太郎ファンが多く、朝鮮支配は日本の発展のためにやむをえなかった、という考えの人が多いのも驚きです。

左翼には、資本主義と言うものは利益のために植民地を求めるものだ、と決め付けて、資本主義を倒さなければ、戦争は無くならない、という人が多いようです。

その論の前提は、資本家は植民地化で莫大な利益を上げた、という誤解です。

こういう事実を無視した資本主義論では、戦争を止めることは出来ないでしょう。
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日露戦争は必要のない戦争   小林哲夫 : 2010/03/03(Wed) 22:58 No.158
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くま 日露戦争は必要のない戦争であったことの証拠について、新しく情報を得ましたので、追加しておきます。

ロシア側は戦争をする気持ちが無かったことの証拠です。


>2009,12,7付け北陸中日新聞
>和田春樹東大名誉教授発見情報
>ベゾブラーゾフの署名がある1904年1月10日付の同盟案全文を発見。同盟案は「ロシアが遼東半島を越えて、朝鮮半島、中国深部に拡大することはまったく不必要であるばかりか、ロシアを弱化させるだけだろう」と分析、「ロシアと日本はそれぞれ満州と朝鮮に国策開発会社をつくり、ロシアは満州、日本は朝鮮の天然資源を開発する」ことなどを提案していた。
>日露戦争開戦一ヶ月前、ロシア側の主戦派の一人と考えられていた、ベゾブラーゾフが戦争を回避しようと日露同盟案を準備しているとの情報を得ながら、日本政府が黙殺していたことを示す新史料である。
>ベゾブラーゾフは皇帝からの信頼が厚く大臣待遇の政治家。
>日本政府が知っていた証拠も「駐韓日本公使館記録」の中から発見した。



こういう状況にもかかわらず日本は開戦を決定し、先制攻撃を開始しました。
それが先制奇襲攻撃であったことは次のとおりです。

>1904/02/08   陸軍先遣隊、仁川上陸開始
>1904/02/08   連合艦隊の駆逐艦隊、旅順口のロシア艦隊を夜襲攻撃
>1904/02/09   仁川沖海戦
>1904/02/10   対露宣戦布告 (日露戦争勃発)

宣戦布告二日前の先制攻撃でした。
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朝鮮学校( 高級部)も無償化を   「くるま座」事務局 : 2010/03/01(Mon) 06:24 No.157  HomePage
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うし みなさま、「くるま座」に下記のメールが届きました。鳩山内閣の意味が問われる課題であり、許しがたい事態だと思い、掲示板に掲載します。


【緊急賛同要請】「高校無償化」制度の朝鮮学校( 高級部)への適用を求める要請書


みなさまへ
以下の要請書を政府に提出します。ぜひ賛同してください。

賛同は、個人でも団体でもかまいません。賛同の方は、3月3日午前7時までに、 koshida@jca.apc.org 
あるいは、FAX: 011-596-3683  まで返信ください。

また、お知り合いの方にもお知らせください。
こんな理不尽なことを見過ごすわけにはいきません。

「高校無償化」制度の朝鮮学校( 高級部)への適用を求める要請書
                        2010年3月3日

内閣総理大臣 鳩山由紀夫様
文部科学大臣 川端達夫様

 鳩山首相が、衆議院で審議されている高校無償化法案に関連して、在日朝鮮人の通う朝鮮学校を無償化の対象から外す方向で調整していることを明らかにし、その理由を「朝鮮学校がどういうことを教えているのか指導内容が必ずしも見えない」と述べたという記事(北海道新聞、2010年2月26日)を、私たちは読みました。
 
私たち、教育問題や国際協力、差別問題などに関心をもつ市民は、この発言に驚いています。私たちは鳩山首相に対して。朝鮮学校も高校無償化の対象に含めるよう再考することを強く求めます。また川端文科相に対して、朝鮮学校を対象にしていた方針を変更することなく進めることを要請します。

 朝鮮学校だけを、無償化の対象から外すことに合理的な根拠はありません。朝鮮学校は、各都道府県が各種学校として認定し、公立・私立大学の半数以上が独自の判断で受験資格を認めてきた学校です。国立大学で初めて受験資格を認めた京都大学は、朝鮮学校の授業や教科書を検討し「高校」と差がないことを確認しています(朝日新聞、2002年9月13日)。
 
この事実をみれば、朝鮮学校が「日本の高校に類する教育課程」をもつ学校を対象とするという文部省の方針に合致していることは明らかです。また「教育の機会均等」や「教育の国際化」という文部科学省の方針からしても、朝鮮学校だけを排除することはできないはずです。
 
朝鮮学校を学校教育基本法第1条の学校として認可しないというこれまでの文部科学省の方針に対しては、日本政府が批准(または加入)している国際人権諸条約の委員会から、これを民族差別とする「懸念と勧告」が何度も出されています。とくに社会権規約委員会は「朝鮮学校のようなマイノリティの学校がたとえ国の教育カリキュラムを遵守している場合でも正式に認可されておらず、したがって中央政府の補助金を受け取ることも、大学入学試験の受験資格を与えることもできない事について、懸念する」(2001年8月31日)と強い勧告を出しています。
 
もし、高校無償化から朝鮮学校をはずすことになれば、これまでの差別をさらに広げることにつながります。それは「友愛」を掲げる鳩山政権の本意に反することではないでしょうか。

 私たちは、朝鮮学校を高校無償化から除外しないことを求めます。

 呼びかけ人 林 炳澤、黒田秀之、越田清和、小林久公、高橋 一、高橋芳恵、七尾寿子、花崎皋平、秀嶋ゆかり、細谷洋子、堀口 晃、三澤恵子、宮内泰介、山口たか

なお、森かずとしのワイワイ談話室もお読みください
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