【Today : 001 / Yesterday : 000 / Total : 016412 】 RSS
くるま座(掲示板)
<携帯電話対応>
市民の政策研究会「くるま座」の掲示板です。秩序を守って利用してください。
<24時間以内の記事は NEW を表示します>
<48時間以内の記事は NEW を表示します>
[トップに戻る] [留意事項] [ワード検索] [過去ログ] [投稿ファイル] [投稿ランキング] [新規投稿] [管理用]
 [投稿情報(WWWC/RSS)]  [標準/一覧/新着/ツリー]  []
標準表示

司馬史観批判(6)   小林哲夫 : 2010/02/25(Thu) 11:31 No.156
  投稿ランキング:8回/−
くま 朝鮮無能力論 


司馬史観の大きな柱の一つに「朝鮮無能力論」があります。

>韓国自身の意思と力でみずからの運命をきりひらく能力は皆無と言ってよかった。
>如何に腐敗しても、自らの内部勢力によって倒れることが無い。外国の侵略と言う不幸な外圧によってようやく倒れる。体制内における薩長的存在が無い。

と書いています。

これは日本は明治維新という自分の力で近代化したのだ、と自慢し、一方韓国にはその力も意欲も無かった、とこき下ろしている文章です。

韓国自身で変わる力が無いから、外国(つまりは日本)が侵略して変えてやるしかなかった、というまことにとんでもない自己中心的考えです。

これがチンピラ右翼が書いているのなら、驚かないのですが、良心的知識人と思われ、国民作家と言われる、司馬氏の考えなのだから驚きます。

こんな酷い自分勝手な考えをよくも恥ずかしくもなく書いているものだ、と驚きます。

そしてこんな侵略的文章を今まで問題だと思わないで、見過ごしてきた、日本の左翼の存在のことを考えると、私さえ恥ずかしくなります。

さて本当に韓国には、自分を変える能力が無かったのでしょうか?

そんなことはありません。
東学党といわれる、変革の動きがありました。これは農民を中心として、何十万人と言う人民を集めて、暴動を起こす力がありました。
(因みに中国の義和団の変と似た存在と考えられます。太平天国の乱も体制変革の運動でした。)

日本でも攘夷運動が盛んになり、それは同時に反幕運動だったという歴史があります。
東学党の乱も、攘夷運動であり、同時に反体制運動でもありました。

日本との違いは、攘夷の相手が、日本は西洋諸国であったこと。
それに対して韓国では、日本が攘夷の対象になったことでした。

また日本は下級武士の運動だったのに、韓国では民衆レベルの運動だったことです。
だからこう考えると韓国の民衆の方が、進んでいた、と言うこともできます。

日本の農民は、維新の動きには全く関係なかったのでした。

これを韓国、中国の民衆の方が進んでいた、と肯定的に見ることが出来ますが、これがその後の歴史にマイナスに影響した、ということも出来ます。

民衆レベルで意識が高くなると、衆愚現象が起こって、引き下がることが出来ない、状態になるからです。

以上韓国人の自立の意識について、司馬氏および現代日本の大多数が間違っていることを説明しました。

まとめ
「韓国は外国の侵略によってしか変われない国だから、韓国を変えるために日本が侵略してやったのだ」という司馬史観は、良識ある人間なら絶対に言ってはならない、不道徳な考えです。

なお無能力が、自衛力(軍事力)のことだとすれば、それは前回すでに書きました。

韓国の仮想敵国としては、中国は同盟国なのだから、中国は除くと、ロシアと日本しかない。
ロシアには侵略する意思は無かったことは、前回説明しました。

ロシアにその気が無いのですから、西洋諸国にも侵略の意思はなかった、と言えます。

だから日本に対する自衛力だけが無かった、ということになります。

ということは司馬氏の発言は「韓国には日本の侵略に備えた自衛力が無かった、だから日本が侵略してやった」という意味になります。

これはもう強盗仲間の論理であって、思想としていえるようなものではありません。
[返信]
[修正]
[削除]
ホスト:VjjI6yp1KA
ブラウザ:2HMkpHNVJI
ID:SlVBEgKtMg

司馬史観批判(5)   小林哲夫 : 2010/02/24(Wed) 11:23 No.155
  投稿ランキング:7回/−
くま 朝鮮の独立のため、という理屈

司馬史観の奇妙なところは、「朝鮮の独立のため」と言う言葉が強調され、堂々と何回もでてくることです。
この言葉に日本人はころりと参ってしまって、この不思議な考えを受け入れてしまっていることです。

日本が一体何故、隣国朝鮮を独立させようとしたのか、意味がわかりません。

とにかく国というものは、独立国でなくてはならない。
しかるに朝鮮は中国の属国で満足していて、独立しようという覇気がない。
よって日本人がそれを教えてやろう、と言う構図でしょうか?

ここにはあたかも朝鮮のために、日本が犠牲になって、戦争をしてやっている、というような恩着せがましい気持ちがこめられています。

この親切の押し売りに何の不思議も感じないのだから、日本人全体がおかしくなっているのです。

朝鮮自身が望んでもいない独立の気持ちを日本人が無理やり持たせることに意味があるでしょうか?

これこそいらぬお節介ではないでしょうか?

福沢諭吉が金玉均などの改革派を支援したりして、朝鮮の独立のために尽くしたことが今でも評価されています。

日本人の中にも朝鮮の改革、独立を真剣に願った人がいた、ということが現代日本人の自慢の様子です。

ところでこんなお節介が本当に自慢になることなのでしょうか?

実はこれは朝鮮のためを考えたお節介ではありませんでした。

この時、福沢諭吉や日本政府がなぜ朝鮮の独立にこれほど力を入れたのか?と言えば、それは「日本が朝鮮を支配しないと日本の安全が守れない」と彼らが考えたからです。

「朝鮮の独立」という言葉は、朝鮮のことを考えたものではなくて、日本自身の利益のためでした。

そして歴史は、朝鮮を日本の支配下に置くためには、中国から朝鮮を独立させる必要があって、そのために中国と戦争をすることになったのでした。

つまり福沢諭吉が朝鮮の独立派を応援したのは、単なるお人よしの善意などではなく、ずるがしこい、利己的な動機だったのです。

しかし福沢諭吉の善意(?)は、その後裏切られることになります。

朝鮮人は悪賢い日本の援助は真っ平御免とこれを拒否し、逆に朝鮮で横暴を極める日本人に対する反感が高まりました。

この朝鮮民衆の反日感情を見た福沢諭吉は、「朝鮮の独立を支援する」などといって、朝鮮人を騙すことは出来ないと悟ったようです。

善意を装って、朝鮮民衆を騙すことが不可能と悟った福沢諭吉は、本性を現して、力で朝鮮を支配することを公言するようになり、「脱亜入欧論」を前面にだすことにしました。

「朝鮮を支配すべし」というのが福沢諭吉のはじめからの本音であって、朝鮮の独立を支援したのは、その後に日本が支配するための単なる一過程(方便)に過ぎませんでした。
だから朝鮮に対する善意などではありえませんでした。

そもそも国際政治に善意などあるはずがありません。
よく考えて見てください。
本当にお人よしの日本人がいたとして、朝鮮独立のために命を投げ出して活躍したとします。そして首尾よく独立したとします。

その後で独立に貢献した日本人は何を要求するでしょうか?
何も要求しないで、清く立ち去るなどということが有りうるでしょうか?
つぎには朝鮮人民と、この独立に貢献した日本人との間の対立が必ず起こると思いませんか?


朝鮮は中国から独立することを望んでいたわけでは有りません。

それよりは日本の干渉を排除したいと言う気持ちを強く持っていました。

だから独立と言う言葉が意味があるとすれば、「日本からの独立」と言うことだったに違いありません。

これは大東亜共栄圏の思想で占領されたアジアの国々の人々の気持ちを考えれば容易に想像できることです。

アジアの独立のために、と戦争をした、日本人が如何にアジアの人々から憎まれたか?ということを忘れてはいけません。
[返信]
[修正]
[削除]
ホスト:VjjI6yp1KA
ブラウザ:2HMkpHNVJI
ID:SlVBEgKtMg

司馬史観批判(余談)   小林哲夫 : 2010/02/23(Tue) 21:18 No.154
  投稿ランキング:6回/−
くま
半沢先生の本を読まないままに、私なりの司馬史観批判を書いております。
私は金沢生まれで、元サラリーマン、現在年金生活の普通の市民です。
学者のような正確な文章を書くことが出来ませんので、あちこちおかしいところや不正確なところがあると思います。
また素人ならではの独創も入れました。

おかしいところを見つけたら是非ご指摘いただきたいと期待して、今回書き込みを始めたものです。

間違い指摘、批判、反論、質問、感想、コメントなど、どんどんお願いします。

この掲示板が活発な交流の場になることが、私の目的ですので、是非遠慮なく、お願いいたします。


なおこの正月韓流ドラマ「明成皇后」を見続けました。

これは閔妃殺害事件の話で、一話50分、全120話の長い、大河ドラマです。

DVDで60枚になり、ツタヤで借りました。

坂の上の雲の時代の朝鮮侵略を朝鮮側から描いたもので、日本人は是非見るべきものだと思います。

この野蛮な日本人が起こした事件を毎週見た韓国の人が、その都度日本人に対する怒りを新しくしたのではないか?と想像しました。
[返信]
[修正]
[削除]
ホスト:VjjI6yp1KA
ブラウザ:2HMkpHNVJI
ID:SlVBEgKtMg

田村光彰教授とライヒェルト・ルート教授勝訴   「くるま座」事務局 : 2010/02/23(Tue) 17:58 No.153  HomePage
  投稿ランキング:65回/−
うし 単独表示 速報


北陸大(金沢市)の学部再編に伴うドイツ語教育の廃止をめぐり、解雇を告げられた田村光彰さん(63)とライヒェルト・ルートさん(54)が、大学に地位確認などを求めた訴訟で金沢地裁は23日、解雇の無効を認める判決を言い渡した。

 中山誠一裁判長は判決理由で「解雇は権利の乱用に当たり、社会通念上相当であると認められない」として無効と判断、解雇通告後の給与の支払いも命じた。

 判決などによると、北陸大は2004年、両教授が所属していた外国語学部、法学部を廃止し、薬学部を含む2学部に再編。外国語教育を英語と中国語に特化した上で「07年4月以降、担当科目がなくなった」として解雇を通知した。

 原告は「医療、薬学の現場では今もドイツ語の必要性が認識されている」と主張。大学は請求棄却を求めていた。

 金沢地裁は07年「解雇は権利の乱用」として、2人の地位保全と賃金支払いを命じる仮処分を決定していた。

[返信]
[修正]
[削除]
ホスト:mrOqBhCH5g
ブラウザ:KIPZFKVqJQ
ID:mm5b.QqR56

司馬史観批判(4)   小林哲夫 : 2010/02/23(Tue) 11:30 No.152
  投稿ランキング:5回/−
くま ロシアは朝鮮を侵略する気は無かった


司馬氏は「日本が朝鮮を支配しなければロシアが取ってしまう、ロシアが朝鮮を取れば次に日本がロシアの植民地にされてしまう。」と考えていたようです。
こういう考えは現在の日本人にも広く信じられていますので、ロシアにそういう意図は無かったことをここで説明しておきます。

ロシアはこのころシベリア鉄道を建設して、着々と東に進出していました。
不凍港を求めて、ウラジヲストックに到達していました。
広くアジア全体を見渡してみると、あちこちで南下政策を取っていました。
これに危機感を覚えたイギリスがロシアの南下に対抗するための世界戦略を取っていました。

こういう動きを読むと当然ロシアは朝鮮を狙っていたに違いない、と思い込みますが、それはもう少し詳細を研究してから、結論すべき問題です。

この当時のロシアは朝鮮に魅力を感じていなかったことが明らかになっています。

その理由は、朝鮮を植民地にしても、利益が期待できなかったからです。

この当時の帝国主義というのは、産業革命で大量生産された商品の販路を求めたものですが、朝鮮にはそういう商品の購買力が認められず、それに加えてロシアは売るべき商品を持たなかったのです。
また仮に朝鮮を植民地になどしたら、欧米諸国を刺激して、国際的に孤立してしまうから、そういうことは考えませんでした。
その上、朝鮮半島の長い海岸線を守るだけの海軍が必要になりますが、ロシアはそれだけの余力を持たなかったので、この意味でも、植民地にする気はありませんでした。

以上のようなことは、1888年5月、ペテルブルクで開催されたロシア政府の極東問題特別会議が作成した覚書に書いてあります。

しかしながら、だからと言って、朝鮮はどうでも良いということではなく、朝鮮を日本が支配することは認められない、という立場であることはいうまでもありません。

こういうロシアの方針を見れば、朝鮮を日本が取らなかったら、ロシアが取っただろうと言う見方は間違いだ、ということがわかります。

また1900年ころ、ヨーロッパではドイツの脅威が高まっていて、それに対抗するために、極東のことに関わる余裕もありませんでした。
ウィッテ、クロパトキン陸相、ラムズドルフ外相らは、日本との軍事的衝突は絶対に避けるべきだと主張し、満州からの撤退を皇帝に提案していました。
皇帝はこれらを了承し、韓国全土を日本の勢力圏にすることを認めました。(小森陽一著から)
しかしこの決定が日本政府に伝達されるのが遅れたために、日本政府は好戦的世論に押されて、先走って開戦してしまったのでした。
日露戦争は日本政府のフライングだったと言えます。
ようするにする必要の無い戦争を、国民世論におされてしてしまった、という軽率な戦争でした。

戦死された方々にはどう言ってお詫びしたらいいのかわからない気がします。

最近の和田春樹氏の研究でも、ロシアは日本との戦争を回避するために、朝鮮半島の利権を放棄する提案をしたことが明らかになったと報告されています。
このことは加納格氏の研究でも同様の報告があります。
[返信]
[修正]
[削除]
ホスト:VjjI6yp1KA
ブラウザ:2HMkpHNVJI
ID:SlVBEgKtMg

司馬史観批判(3)   小林哲夫 : 2010/02/22(Mon) 16:08 No.151
  投稿ランキング:4回/−
くま 日本防衛のための朝鮮領有


「日本の防衛のために朝鮮を領有する必要があった」というのが司馬史観であり、今の日本人もこう考えていることに対して、「それは防衛と言う観点からも間違いだ」というのが私の考えです。

日本国だけを守るのに比べて、朝鮮半島も守らねばならなくなって、防衛の範囲が広がりすぎて、危険である、と言う考えです。

朝鮮半島の北部の陸続きの部分を防衛するのは大変だ、と言う意味です。

日本本土を守るためには、主に海軍だけで済みますが、朝鮮を守るためには、朝鮮国境を守るための陸軍を送り込まねばならず、陸軍を送り込むためには、朝鮮と日本との兵站水路を確保するための、海軍が余計に必要になるからです。

海岸線を守るのは比較的容易ですが、陸続きの国境を守るのは容易ではないからです。

海岸線を守ると言う意味には、ゲリラ的な攻撃を防ぐための海上保安庁の仕事がありますが、これは国として不可欠のもので、警察力と同じ種類です。

さて他国が日本を侵略するための戦争を仕掛けてきたらどうするか?という疑問があるかもしれません。

こういう疑問に対しては、防衛と言うことは、もっと具体的に考えねばならない、と答えます。

まず朝鮮が日本を侵略するための戦争を仕掛けてくることは考えられないでしょう。

同様にこの当時の中国の北洋艦隊が日本を侵略しようと戦争を仕掛けてくる可能性もありえません。

それではロシアが突然バルチック艦隊を日本海に回してくることは考えられるでしょうか?

そんなこともとても考えられません。

しかしこの時日清日露戦争があったではないか?という反論があるかもしれません。

しかしこれは日本が先に朝鮮を領有しようとしたから起こった戦争であって、日本が朝鮮を侵略しなければ起こり得なかった戦争です。

このことから日露戦争は、決して祖国防衛戦争ではなかった、と言い切ることが出来ます。


だから結論として、日本の防衛のために、朝鮮を領有しようとしたのは、間違いだった、と言えます。


(つづく)
[返信]
[修正]
[削除]
ホスト:VjjI6yp1KA
ブラウザ:2HMkpHNVJI
ID:SlVBEgKtMg

あまり本を読みませんが   ナカノカナ : 2010/02/22(Mon) 01:10 No.150
  投稿ランキング:1回/−
ひつじ 「雲の先の修羅」をたいへん面白く読ませて頂きました。
知らないことばかりが多くていっぱい勉強した気持ちになれましてありがとうございます。
タイトルの由来になった「あの先で修羅はころがれ雲の峰」
という幸田露伴の俳句が妙に気に入っております。
長閑に見える雲の峰の向こうに人間が殺しあう修羅の世界があるという句です。
これは反戦とはいえないまでも「厭戦」の句ですと、書かれています。
羽仁五郎氏が本で紹介しています
「つまり、夏の峰が見えたんだな。つまりあの先は修羅なんだなあ、と・・・幸田露伴はまだ、感覚を持ってるんだよ。
あの雲の向こうでは、日本軍が行って殺し合いをやってる、なんて、公平なことじゃないんだよ。
向こうの人は、平和に暮らしていたんだよ。そこへ日本軍が行ったんだね。鬼のような日本軍が。
その鬼のような日本軍というのは、ぼくであり、皆さんなんだよ、ね。」
確かにその通りだと思います。
私には過去の日本の侵略戦争に直接責任はないとしても現在進行形で起きている悲惨な結果には少なからず責任はあります。
わたしは私を知らない。同様に日本を世界を知らない。同時代に生きている者として知る努力をしないといけません。
ところで、「あの先で修羅はころがれ雲の峰」なんだけど「厭戦」ではあると思います。
反戦ならば「あの先で修羅はころがる雲の峰」になると私は考えます。
「あの先で修羅はころがれ・・・」というのは勝手に戦争でも略奪でもやってなさいよ、というように思えてならないんですけど、
露伴先生に聞いてみたい。露伴先生は戦争によって不自由な生活を余儀なくされて怒ってたんでしょうね。
露伴先生に限らず怒ってた人は多いと思いますが、
 現代は思想信条の自由が保障されているのだから脅かされないように自由は守らないと、 いけませんね。
私は「あの先で修羅はころがる雲の峰」も気に入ってます。
[返信]
[修正]
[削除]
ホスト:LUNw303Qr.
ブラウザ:SkOrhENn/Q
ID:QIGf8dJ88o

司馬史観批判(2)   小林哲夫 : 2010/02/20(Sat) 08:44 No.149
  投稿ランキング:3回/−
くま 朝鮮の自衛力の問題を考えます。

「朝鮮には自衛力がなかった」とこともなげにいう司馬氏の考えは、朝鮮蔑視観で、良識ある文筆家だったら決して言ってはならないことです。
<B>「司馬史観」朝鮮には自主的に自分の国をまもる力がない、</B>

私は朝鮮には、自衛の力があったけれど、結果的に日本の軍事力に勝てるだけの力が無かっただけだ、と考えます。

日本に勝てなかったのだから、結果的に自衛力が無かった、と言うことも出来ますが、こういうことを日本人がいうのは非常に野蛮なことです。

つまり野蛮な強盗が、人の家に押し入って、お前のところは、用心が不足だから、俺が強盗に入るのは当然だ、ざまあみろ!と言っているようなものです。

泥棒に入られた家は、すべて用心不足を非難されるのでしょうか?

日本の野蛮な侵略に屈して植民地になった、という結果から朝鮮には自衛の力が無かった、というのは、まことに盗人たけだけしい、論理です。


一方当時、中国とは宗族関係にあって、もし朝鮮を侵略する国があったら、中国が共に戦ってくれることになっていました。

このことを中国頼りの情けない国だった、と思う日本人がいたら、まことに恥ずかしい考えです。
同盟関係は恥ずかしい事でしょうか?

日米安保体制によって、日本の安全が保たれている、と思っている人はまことに頼りない日本人だ、と言っていることになります。

当時の朝鮮の自衛力には、中国の力を当てにしているところがあって、何がおかしいのでしょうか?

当時の朝鮮に対して日本は「朝鮮を独立させてやるから中国との同盟を破棄せよ!」と言ったわけですが、これは現在の日本に対して中国が、「日本を独立させてやるから、日米安保条約を破棄せよ」と言っていることと同じ意味になります。

こんな理不尽なことをもし中国が言ったら、あなたは怒りませんか?

つまり当時の朝鮮は「中国に対して自衛する必要がない」と言うことです。
現在の日本がアメリカに対しての自衛を考えていない、と同様です。

こう考えると、あと残るのは「ロシア」だけです。

ロシアに対する朝鮮の自衛の力は、充分であった、と私は考えます。

自衛力が充分だった、と言うことの意味は、侵略しようとする意思と比較して、という観点が必要です。

つまりロシアは朝鮮を侵略するつもりは無かったから、朝鮮も自衛力はそれほど必要なかった、という意味です。

ロシアの侵略意欲というものは、朝鮮の自衛力との関係でもあります。
朝鮮が当時の程度の自衛力があると知って、侵略する意思を持たなかった、ということです。

自衛力というものは、いつも侵略可能性との相互関係の中で考えるべきものです。

(つづく)
[返信]
[修正]
[削除]
ホスト:VjjI6yp1KA
ブラウザ:2HMkpHNVJI
ID:SlVBEgKtMg

司馬史観批判   小林哲夫 : 2010/02/19(Fri) 15:04 No.148
  投稿ランキング:2回/−
くま くるま座の趣旨に賛成して、司馬史観批判の仲間入りをさせていただきたい、と思います。

残念ながら半沢先生の講演を聞いていないので、私の司馬史観批判をまず書いてはじめたいと思います。

次のようなことを考えましたので、読者の皆様と考えの違う点がありましたら、コメントをいただけたらうれしく思います。

1、ここで批判対象とする司馬史観を次のような考えと要約します。
朝鮮半島を日本以外の第三国(とりわけロシア)が支配したら、日本の安全は保てない、しかも朝鮮には自主的に自分の国をまもる力がない、だから日本が朝鮮の「独立」のために、朝鮮をうかがう外国の勢力を排除するためにたたかうのだ、日露戦争はロシアの脅威から日本の安全をまもるための「祖国防衛戦争」だった。

2、私の司馬史観批判
ロシアには朝鮮半島を支配しようと言う意図がなかったことは証明されている。
例え朝鮮がロシアに支配されたとしても、日本の防衛には関係ない。
また朝鮮を日本が支配したら、防衛の範囲が広がって、日本にとってはかえって防衛困難な状態になる。
朝鮮に自衛の力がなかったと言い切るのは、朝鮮蔑視である。
いわんやロシアが日本を侵略しようとしていたわけではないので、祖国防衛戦争と言えるはずがない。(ここまで自衛の範囲を広めるのは、自民党タカ派顔負けといえます。)

3、私の主張
護憲、戦争反対の思想の一環として、日清、日露戦争を侵略戦争として批判的に見るべきである。
日清、日露戦争を起こした原因として、明治維新そのものを批判すべきである。
維新を見直すことは、日本の近代化そのものを見直すことにつながる。
以上のようなことをもう少し詳しく考える作業を行うことを提案します。

(つづく)
[返信]
[修正]
[削除]
ホスト:VjjI6yp1KA
ブラウザ:2HMkpHNVJI
ID:SlVBEgKtMg

選挙に行こうキャンペーン2010のお知らせ   選挙に行こうキャンペ... : 2010/02/05(Fri) 23:59 No.146  HomePage
  投稿ランキング:1回/−
くま 告知失礼いたします。

私たちは、選挙に行こうキャンペーン2010実行委員会です。
「選挙に行こうキャンペーン2010」は、若者の選挙での投票を促す市民グループです。
昨年は、衆院議員選挙で第1回の活動をしました。
今年、県知事選挙でも活動します。
概要 2月13日(土)
第一部15:00〜16:30 金沢市 香林坊大和アトリオ前 街宣活動&ビラ配り

第二部18:00〜20:00 金沢市 近江町市場内 喫茶メロメロポッチ ライブ&トーク

入場無料

ライブは、大島圭太さんトークは立候補予定者の方々です。

ぜひ、ご参加ください。
当日ボランティア大募集。第一部でビラまきに参加してくれる方、当日飛び込みも歓迎。
もし見逃した方は、後日ブログにて動画を配信予定

以上、ありがとうございました。
[返信]
[修正]
[削除]
ホスト:tzFtJcLZfQ
ブラウザ:kjH2GafGTU
ID:w77fby2h4M


ページ移動

| | 11 | 12 | 13 | 14 | 15 | 16 | 17 | 18 | 19 | 20 | |

新規投稿
[新規投稿はこちら]

NO: PASS:
[標準/一覧/新着/ツリー]  []

- KENT & MakiMaki -
携帯用改造:湯一路
Modified by Tambo

WWWC META Check
WWWC META Check

参照